
「瞑想って、心を無にする事ですよね?」「え、まだそんな事言ってるんですか」

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表
こんにちは🍵
心を無にしたがる人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です
「瞑想って、心を無にする事ですよね?」と聞かれ、「え、まだそんな事言ってるんですか」と返してしまいました
瞑想=心を無にする事という勘違いは、瞑想に対する根強い誤解と、時代遅れのイメージが混在している現状を示しています
今回は、瞑想が単なる「心を無にする」行為ではなく、実際にはどのような意義と目的があるのかを、解説します
瞑想には種類がある
瞑想には種類があり、心を無にする瞑想1種類だけではない
例)
マインドフルネス瞑想
集中瞑想(サマタ瞑想)
禅(ゼン)瞑想
ヴィパッサナー瞑想
慈悲瞑想(ラヴ・メッタ瞑想)
トランセンデンタル瞑想(超越瞑想)
ヨガ瞑想
チャクラ瞑想
「心を無にする」とは何か
「心を無にする」という表現は、瞑想における時代遅れなイメージのひとつだ
ぼーっとするのは心を無にするのとは違うし、ただの思考停止か、頭が悪いか、何らかの病か、糖質の摂りすぎという事もある
我々素人が、心を無にする事なんてできない
「心を無にする」というのは、思考や感情、雑念を一切排除し、完全な静寂状態にすることを指す
しかし、これは瞑想の正確な目的ではない
むしろ、無理に心を「無」にしようとすることは、瞑想の本質を誤解している
瞑想の本質―意識の「観察」と「受容」
現代の瞑想研究では、瞑想は「心を無にする」ことよりも、自分の内面に気づき、今ここに意識を向ける実践であると理解されている
具体的には、以下の要素が重要だ
- マインドフルネス
自分の思考、感情、身体感覚をあるがままに観察する否定も肯定もせず、ただ存在を認識することが求められるこれは、心を無にするのではなく、現れる思考や感情に対して「ただ気づく」姿勢である
- 自己認識の向上
瞑想を通して、自分がどのように反応し、どのようなパターンを持っているかを知るこれは、自己分析や内省を深め、より効果的な自己コントロールやストレス管理につながる
- 集中力の強化
呼吸や特定の対象に意識を向けることで、散漫になりがちな心を一点に集中させる訓練を行うこれにより、普段の生活での注意力が向上する
「心を無にする」幻想が生まれる背景
かつては、仏教の瞑想法や禅の修行において、心を無にすることが理想とされた時代があった
そこでは、すべての雑念を払い、静寂そのものに至ることが究極の境地とされていた
しかし、現代においては、心を無にすることが必ずしも精神的な成長やストレス解消につながるとは限らない
>極端な理想の押し付け
「心を無にする」という表現は、一部の人々にとっては、過剰な自己抑制や不自然な状態を強いるものとして捉えられる
結果として、瞑想そのものが苦痛になり、実践が続かなくなる原因ともなりうる
>誤解とステレオタイプ
メディアや自己啓発書などで「心を無にする」と断言されることで、瞑想が単なる精神の消失や無気力の促進、我慢と誤解されることがある
これは、瞑想の多様な効果や実践法を狭い視点で捉えてしまう典型的な例だ
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