精神疾患は、自己責任か

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表

こんにちは🍵

「誰のせいか」を考えて思考停止してる人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です

  

このテーマ、ずっと議論されていますが、聞き方からして間違ってます

「精神疾患って自己責任なんですか?」という質問には、子どもじみた発想が隠れています

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「自己責任か他責か」でしか考えられない人から終わっていく

「精神疾患は自己責任ですか?」という問いは、シンプルに見えて、その実、非常に危険な思考のトラップだ

なぜなら、この問いに思考がはまりこんでしまうと人は「自分が悪い」か「誰かが悪い」かという二択の世界に閉じ込められてしまう

この思考は、視野が狭く、反射的で、どこにも出口がない

こういう思考をする人は、頭が悪いという事だ

頭が悪いと精神疾患が自己責任か周りのせいかの二択でしか考えられないから困る

そんなこと言ってるから、いつまでも不幸なままだ

自分を責めるか、他人を恨むか、そのどちらかしか選べない思考になっている

そして最も厄介なのは、そのどちらにも“生産性がない”ということ

誰が悪いかを考えたところで、あなたの状態が良くなるわけでもないし

明日が変わるわけでもない

こういう思考を繰り返す人に限って、ずっと不幸なループにはまり込む

自分が悪い→だから私はダメなんだ→行動できない→状況が悪化→また自己否定

あるいは、

他人が悪い→世の中クソ→関わるのをやめる→孤立する→メンタル悪化

これが「二択思考」の限界だ

問題を白か黒かでしか判断できない人間は、複雑な現実に耐えられなくなる

本当に怖いのは、病気そのものではない

この“考え方の型”のほうが、精神を追い込んでくる

あなたがいま、思考のどこかに「誰かを裁きたい気持ち」があるなら要注意だ

それは冷静な分析ではなく、「苦しみをぶつける矛先を探しているだけ」の状態だ

もちろん、そうなってしまうことを責めるつもりはない

でも、自分の頭の中がその構造にハマっていると自覚しなければ、抜け出すこともできない

自己責任か他責か――

その問いそのものが、あなたを壊す刃になっているとしたら

その思考パターン自体を疑う必要がある

  

精神疾患は「責任」ではなく「現象」である

まず大前提として伝えたいのは、精神疾患は“誰かの責任で起きたもの”ではないということ

これは甘やかしでも楽観でもなく、現実的な話だ

精神疾患というのは、医学的にも心理学的にも、「複数の要因が絡んで起きる現象」とされている

それはつまり、明確な一因が存在しない、ということ

たとえば、うつ病ならどうだろう

職場でのパワハラ、家族との不和、完璧主義な性格、ホルモンバランス、栄養状態、睡眠不足、幼少期の刷り込み

これらが全部絡み合って、あるとき限界を超えることで発症する

それを「あなたが悪い」と切り捨てるのも、「社会が悪い」と決めつけるのも

どちらも乱暴すぎる単純化にすぎない

さらに言えば、発達障害や双極性障害のように、生物学的な特性が土台にあるケースもある

これに関して「自己責任か?」という問いは、もはやナンセンスだ

誰が責任を取ればこの脳の傾向は変わるのか?

誰を裁けば、この神経回路の過敏さは消えるのか?

答えは、当然どこにもない

精神疾患は、誰が悪いかを決めるためのトピックではない

それは、現象だ

“起きてしまった”という事実からスタートしなければならないもの

ここを履き違えると

いつまでも「納得できる理由探し」をして人生を止め続けてしまう

「なぜこうなったか」は、意味づけにはなるかもしれないが、回復の足場にはならない

「どうすればこの状態を少しでも良くできるか」だけが、建設的な問いになる

精神疾患を責任問題にしている限り、あなたの人生は“責任の犯人捜しゲーム”で終わる

でも、それでは自分の人生を生きたことにならない

  

裁判をするなら、誰のせいか考えていい

「誰のせいなのか」は、本来、ある目的があるときにだけ意味を持つ問いだ その最たる例が、裁判

誰かの行為によって被害を受けたとき その責任の所在を明確にして、法的な判断を仰ぐ それによって賠償や謝罪を得たり、正当な主張を通したりする

つまり、「誰が悪いか」を明確にするという作業には、それなりの“対価”があるときだけ価値がある

もしあなたが本当に誰かの行為によって精神を病んだとしたら 労災申請を出す、訴訟を起こす、報道に訴える―― そういった「社会的に意味のある形」で動いていくのは、大いに意味がある

そのときは徹底的に「誰がどう悪かったか」を考えればいい むしろ、そこを曖昧にするとあなた自身が再び踏みにじられるリスクがある

でも、問題は 多くの人が何の行動も起こさないまま、頭の中だけで責任論を回してしまうということだ

・訴えるつもりはない ・話し合うつもりもない ・状況を変えるつもりもない

けれど、頭の中ではずっと「誰が悪いんだろう」と考えてる これはもう、ただの“苦しみの反芻”でしかない

目的のない責任探しは、ただあなたの心と時間をすり減らすだけ 相手を裁くために考えているつもりが 気づけば自分自身を責める道具に変わっていることもある

「この人のせいで、私はこうなった」と思い続けるうちに 今の自分の人生のすべてが“被害”に見えてくる そうなると、前に進む力が完全に奪われる

だからこそ伝えたい 裁判を起こすなら、誰のせいかを突き詰めて考えればいい でも、そうでないなら―― その問いは、あなたの中で今すぐ手放したほうがいい

  

責任より、優先すべき問いがある

「誰が悪いか」という問いは、簡単だ だから人は、苦しいときほどそこに逃げ込もうとする 誰かのせいにすれば、自分を守れる気がするし 自分のせいにすれば、「反省した気分」になって何か解決したように感じられる

でも、現実は1ミリも動かない 責任を明確にしたところで、明日も心が重いままなら、それは何の役にも立っていないということ

本当にあなたが考えるべき問いは、こっちだ

「自分はこれからどうやって生きていくのか?」

精神疾患で動けないとき、できることは限られている でも「誰が悪いか」を考える時間があるなら、「少しでも楽になるために今何ができるか」を考える方が100倍価値がある

・病院に行く ・休むと決める ・人に話す ・生活リズムを整える ・薬を飲み始める ・SNSを切る ・部屋を暗くする ・予定をキャンセルする

これらはすべて「自分を動かす問い」からしか出てこない そして、それを選べるのは他の誰でもない、あなただけ

責任探しは、他人に目を向けさせる でも行動の選択は、自分に目を向けることになる

そして、自分のほうに意識を戻さなければ、いつまでも「変化」は起こらない

問いを間違えれば、人生の舵も間違う あなたの今いる場所がどれだけ苦しくても、問うべきことを変えるだけで状況は変わっていく

責任の話をしてる暇があるなら、今日1日を楽にする工夫を10個考えたほうがいい

  

自己責任論に縛られる人の共通点

「自己責任だと思います」 そう言う人の中には、一見すると強くて真面目で、立派に見えるタイプも多い

でも、その内側をよく見ると 行動していない 変わろうとしていない 苦しさを解決するために、動いていない

ただ、「自分が悪いから仕方ない」と結論づけて、思考を止めているだけのことも多い

これは“自責”の皮をかぶった、静かな“諦め”だ 一見ストイックなように見えて、その実は「どうしようもなさ」に飲み込まれてしまっている状態

本当に自責で生きるというのは、「自分に責任があるなら、自分の行動で変えていく」という意味だ 行動なき自責は、ただの自滅になる

そしてこのタイプの人が口にしがちなのが、こんな言葉だ 「私は甘えたくないから、誰のせいにもしたくないんです」

けれど、それを言っている時点で、もうすでに誰にも助けを求められない孤独に落ちている 「誰にも責められない代わりに、誰にも支えられない」 そんな地獄のような場所に、自分を閉じ込めてしまっている

しかも厄介なのは、周囲から見ると「ちゃんとしてる人」「責任感の強い人」に見えてしまうこと だから誰も止めてくれない

むしろ「立派だね」と褒められる そのたびに、もっと深く沈んでいく

本当の意味で責任を引き受けるというのは、「自分を苦しめすぎない」ことでもある できないことを認める 頼ることを選ぶ 逃げる選択を肯定する

そういう柔軟さこそが、責任ある人間に必要な視点だ

“責任”という言葉に自分を押し潰されている人ほど、一度立ち止まってほしい それは本当に「前に進む責任」か それとも「自分を罰するための責任」になっていないか

  

他責も自責も手放して、現実を変えるという選択

多くの人が、「他人のせい」と「自分のせい」の間を行ったり来たりして疲弊している でも、精神を回復させるうえで、もっとも必要なのはその両方を一度“置く”ことだ

「置く」というのは、責任の有無を無視することではない ただ、そこを今すぐ判断しようとしない 代わりに、「この状態からどう抜けるか」に意識をシフトするということ

精神疾患という現象は、心も身体も止まってしまう でも、「止まっている」ことを正当化するために責任の所在にこだわり始めると 永遠に動き出すきっかけを失ってしまう

他人が悪い 社会が悪い でも、自分も悪い でも、やっぱりあの時の〇〇が…

このループにハマると、思考が忙しいのに、現実は1ミリも動かないという地獄に突入する

だから一度、その議論は保留にする 今は「誰のせいかを考える時期じゃない」と決めてしまっていい 今、やるべきはそれじゃない

現実を変えるというのは、必ずしも大きな行動じゃなくていい ・スマホを見ない時間を5分つくる ・今日だけ朝に水を飲んでみる ・一人で抱えていることを、紙に書き出す ・もう無理だと思った予定をキャンセルする

この程度の小さな変化でも、現実にはちゃんと影響を与える 責任の重さを背負って動けなくなっているなら、なおさら“小さくて軽いこと”を試す必要がある

「自分のせいじゃないから何もしない」も、「全部自分のせいだから何もできない」も、どちらも現実を止める選択だ でも、「とりあえずやってみる」には、責任はいらない

だからこそ、今のあなたに必要なのは、誰が悪いかをジャッジすることではなく 誰のせいでもなく、現実を1ミリ動かすという選択だ

  

で、精神疾患は自己責任か?

結論から言う

基本的に『自己責任』

もちろん、人それぞれ原因は違い、例外はある

重度のトラウマや、明らかな虐待、避けられない外的被害

そういうケースでは「本人だけの責任」と言い切ることはできない

だが、そうしたケースは「一部」だったり、安全な時間、何か工夫する時間が全く無い訳ではない

ほとんどの人は、本当はやれることがあったのに、それをやらなかった結果として今がある

・無理してでもいい顔を続けた

・助けを求めることを「恥ずかしい」と思った

・努力の方向を間違えていた

・「いつか何とかなる」と問題を先送りにしていた

そして限界を超えた瞬間に、初めて「私は被害者です」と言い出す

だがそれは、自分の人生のハンドルを他人に渡してきたツケにすぎない

人生は、自分でコントロールするものだ

疲れてるなら休む
苦しいなら環境を変える
不安定なら誰かに話す

全部、選べたはずだ

選ばなかったのは誰か
行動しなかったのは誰か
「我慢」を「美徳」にすり替えたのは誰か

精神を病む前に、立ち止まるチャンスは何度もあった
それでも走り続けたのは、誰かに命令されたからじゃない

自分で「その道を選んだ」からだ

責任とは、結果に対して自分で納得する力でもある

だから、戦略を間違えたなら、それは自己責任だ

「気づかなかった」では済まされない

それが大人として生きるということだ

いつまでも「社会が悪い」「環境が悪い」と言い続けて

一度も自分の判断や態度を振り返らない人間は

永遠に同じ場所でつまずき続けることになる

もう誰のせいにもしない

戦略を見直す

やれることを全部やる

そして、次は壊れない道を選ぶ

それが、大人としてのリスタートだ

  

『心理カウンセリング』の活用:最初の一歩を間違えたまま、努力しても不幸なまま

頑張っても報われない

努力しても状況が変わらない

それは、最初の一歩を間違えているからだ

人生は、積み上げでできている

どれだけ真剣に進んでも、出発点がズレていれば

目的地にはたどり着かない

逆に言えば、最初の一歩を正しく選べれば

その後の10歩、100歩は自然と軌道に乗る

でも、ここで問題がある

今まで間違えてきた人が

これから突然「正しい一歩」を選べる可能性は、極めて低いということだ

なぜなら、人は自分の癖に気づかない

判断の軸が歪んでいることに、本人は気づけない

だからこそ、同じ失敗を繰り返す

自分ひとりで答えを出そうとすれば、また同じ道を選ぶ

今度こそ正しくやるつもりでも、間違えた地図の上でまた頑張ってしまう

それが「頑張ってるのに苦しい」状態の正体だ

だからこそ、最初の一歩は「独りで決めない」ことが重要になる

ここで必要なのは、感情の共感ではなく、構造を見抜く力だ

そのために使うべきなのが、

「心理カウンセリング」という道具だ

頭の中を整理し、思考のクセを見抜き、

どこでズレ始めたかを一緒に見直す専門家の伴走が、最短ルートになる

「どうすればいいかわからない」と思っている時点で

自分ひとりで答えを出そうとするのは、もうやめたほうがいい

本当に変えたいなら

正しい一歩目を、専門家と一緒に設計することから始めた方がいい

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