さて、「ガルシアへの手紙」の著者、エルバート・ハバートは、次のように述べている。
「天才とは、ただ、努力の継続をできる人のことをいう。
成功と失敗の差は、ほんのちょっとしたところにあるから、そこに私たちは気づかないことがある。
あまりにも背中合わせなので、成功が間近にあるのに見過ごしてしまう。
成功目前で、あと少しの努力、あと少しのがまんというところで、いかに多くの人たちが諦めてしまうことか。
潮が綺麗に引くのは、すぐ潮が押し寄せてくるためである。
実際、成功の方向に向きかけているときが、最も困難に見えるときなのである。
あと少しの辛抱、あと少しの努力で、絶望的な状況が、素晴らしい成功に転じるのだ。
努力をあきらめない限り、失敗なんてこの世にないんだ。
自分の心の内からくる敗北以外に敗北はなく、自分自身の持っている意志の弱ささえ克服すれば、
乗り越えられない障害なんてないんだ。
と。
「闇が深ければ深いほど暁は近い」
というけれど、当人でなければ、その苦しさはわからない。
底なし沼のような、ずるずると、どこまでも転落していく恐怖。
もがいてももがいても、裏目裏目にでて、やることなすこと失敗。
その絶望感が、最後の踏ん張りどころだ。
大きく飛躍するためには、大きく屈まなければならない。
脚が伸びていては、跳躍が知れている。
大ジャンプには、ギリギリまで脚をまげて、力をためなければならない。
その時が苦しいものだ。
好転する前には必ず悪化する(チャーチル)
僕らが大好きな、ケンタッキー・フライド・チキンのおじさん。
カーネルサンダース氏
彼は、繁盛店を持ていた。
しかし、高速道路が作られて車の流れが変わり、町にはあまり車がやってこないようになってしまいました。
もう年は60すぎ。年金ももらえる年齢に達しています。
カーネルは商売も潮時だなと感じ、店をたたむ決意をします。
しかしその時、奥さんが「人が来なくなったのなら、人のいる所に売りに行けば?」と言ったのがきっかけであったとも言われます。
彼は64歳の時、そのレストランで最も評判の高かったメニューであるフライド・チキンをワゴン車につんであちこちの町を回り、各地のレストランで試食してもらって気に入ってくれた店にフランチャイズになってもらい、製法を教えてチキン1本に付き5セントのマージンをもらう契約をするという商売を始めます。
セールスの旅を始めて1年が経過したころだった。
やっと、1006軒目で、初めての契約。
ある日を境に、フランチャイズの問い合わせが次々舞い込むようになっていたのだ!
この新しいアイデア商法はうまく行きました。
1952年ユタ州で第一号の契約店を得た後、約10年間に全米で600のレストランと契約を結ぶことに成功しました。
カーネルサンダース氏が1005軒目で諦めていたら、今のケンタッキー・フライド・チキンはなかったのでしょうね。
さあ、諦めずにがんばろう!
この記事のライター
平成からのタイムトラベラー
昭和、平成を愛する、タイムトラベラー あの時代に帰りたい。。
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