前回は、AI時代の焦りがどこから来るのかについて考えました。AIに関する情報を見ていると、私たちはつい焦ってしまいます。
「AIを使えないと取り残される」
「ChatGPTを使いこなせない人は淘汰される」
「AIで仕事がなくなる」
「これからはAIを使える人だけが勝つ」
そんな言葉に触れるたび、心のどこかがざわつく。
でも、その焦りは、あなたの心が弱いからではありません。今の情報環境そのものが、私たちを焦らせやすくできている。
前回は、そんな話をしました。
今回は、そこからもう一歩だけ深く進みます。
なぜ私たちは、AIに対して「負ける」と感じてしまうのでしょうか。AIは道具のはずです。本来、人間を助けるためのものです。それなのに、なぜ私たちは、AIを見たときに、
「自分の価値が下がるのではないか」
「自分の仕事は必要なくなるのではないか」
「自分はもう時代に合わない人間なのではないか」
と感じてしまうのでしょうか。
その奥には、現代社会が長いあいだ信じてきた、ある価値観があります。
AIが怖いのではなく、「測られること」が怖い
AIに対する不安のすべてが、AIそのものから生まれているわけではないと思います。
もちろん、AIの進化は大きな変化です。
仕事の形は変わるでしょう。求められるスキルも変わるでしょう。これまで人間がやっていた作業の一部は、AIに置き換わっていくかもしれません。
その変化に不安を感じるのは自然なことです。
けれど、私たちの心を本当に苦しくしているのは、AIそのものというより、AIと比べられて、自分の価値を測られることなのではないでしょうか。
AIの方が速い。
AIの方が正確。
AIの方がたくさんの知識を持っている。
AIの方が短時間で成果を出せる。
そう見えたとき、私たちは無意識にこう思ってしまいます。
「では、自分には何の価値があるのだろう」
この問いが、胸の奥に刺さるのです。
でも、ここで一度立ち止まって考えたいのです。
そもそも、なぜ私たちは「速さ」や「正確さ」や「成果の量」で、自分の価値まで測ろうとしてしまうのでしょうか。
私たちは、生産性で人間を見る社会に生きている
現代社会では、多くの場合、人間の価値が「生産性」で測られます。
どれだけ早く仕事ができるか。
どれだけ多くの成果を出せるか。
どれだけ効率よく動けるか。
どれだけ売上や利益に貢献できるか。
どれだけ数字で結果を示せるか。
もちろん、仕事の場において、成果や効率が大切であることは間違いありません。
会社も社会も、何らかの成果によって動いています。限られた時間や資源の中で、よりよい結果を出そうとすること自体は、決して悪いことではありません。
問題は、そのものさしが、いつの間にか人間そのものの価値を測るものになってしまうことです。
「仕事が早い人は価値がある」
「稼げる人は価値がある」
「効率よく動ける人は価値がある」
「成果を出せない人は価値が低い」
そんな空気を、私たちは知らないうちに吸い込んできました。
学校でも、会社でも、SNSでも、社会のあちこちで、私たちは比較されます。
点数
順位
収入
肩書き
フォロワー数
売上
実績
生産性
数字で見えるものは、分かりやすい。だから評価しやすい。
けれど、分かりやすいものばかりを見ていると、分かりにくいものの価値を忘れてしまいます。
人を気づかう力。誰かの沈黙に寄り添う力。一つの問いを深く考え続ける力。美しいものに心を動かす感性。自分の弱さと向き合う誠実さ。
こうしたものは、簡単には数字にできません。
でも、数字にできないからといって、価値がないわけではありません。
むしろ、人間らしさの多くは、数字にしづらい場所にあります。
