そのままでいいがな。
増田朋美
皆さんこんにちは。最近になってバラキレフのワルツ7番がやっと弾けるようになりました。5月くらいにはじめて、弾けるようになるまでは1月位かかったのかな。とにかくすごい遅いテンポで何回も弾いて、自分の手になじませるしかないから。泣いたりもしたけれど、それしかないから、とにかく何度も繰り返してやっと弾けるようになったなあといったところでした。
一ヶ月ちかくかかってやっと弾けるようになって学んだことは、スピードよりもゆっくりと確実にやっていくことでした。いくらやってもできないので、速く弾くことを一度諦め、とにかくバラキレフの個性的な和声感を掴むことから始めよう、というように頭を切り替えたのです。よく大変とは大きく変わるとかく、とかきますが、方針を変えてやらなくてはならなかったというのは確かに大きく変わったのではないかと思います。
じつはこれ、この年になりまして、初めて知りました。小学校、中学校、高校、大学でも全くこのようなことは教えてもらうことはありませんでした。速くやれ、正確にやれ、一番になれば幸せになれる、ほかの人を倒せ、などなどは言われてきましたが、方針を変えればできるから、自分で決めて努力すればよい、などの言葉は一度も言われたことはなかったのです。一番にならないと、ほかの人より成績が良くないと不幸になるというのはよく怒鳴られましたが、どうすればできるかは教えてもらえなくて、よく泣いたりしていましたけれど、不思議なもので、そういう勉強というのは全く楽しくなかったのです。方針を変えて他から取組んでみよう、などいったら、なんで俺がいうとおりにしないんや!みたいな感じで怒鳴られているのが当たり前のような学生時代でした。
いまになって、こういうことが、間違いであることが、少しずつわかってきました。まず初めに、音大の先生も適切な楽譜を教えてくれなかったことがわかったことを皮切りに、少しずつ、私が受けてきた教育というのはいかにおかしなものだったか、というのがわかってきている気がします。
私が受けた教育は、とにかく人より順位や点数を上げることや、なんでもただしい答えをとにかく紙に書いて提出すること、などを怒鳴られていましたが、そのようなことがはっきりいえば、答えだけ覚えるだけでは勉強になりません。そうではなくて、答えをどうやって導き出したのか?が大切なのです。ここらへん、もう少し親切に教えてくださる方がいれば、自殺未遂には至らなかったと思いますね。とにかく点数がすべてだったんです。点数が取れないと、なんでこんな点数悪いの!って、怒鳴られるだけで、答えまで到達しない。ただ、これが正しい答えだから、覚えて紙に書いて点数をあげて、順位をあげて、それをやればよい、というのが、私が学生時代受けてきた教育でした。
だからこそ、私は、国語も数学もみんな嫌いで、音楽を専門的に学びたいとおもったわけですが、音楽は、正しい答えを覚えるのがすべてではない学問であり、獲得した技術をすぐ武器にできる学問だと思います。料理なんかも似たところがあると思いますが、自分の獲得した技術を使うことができて、なおかつ新しいことを考えることができる「学問」は、今なかなかないですよね。
あと、私が若い頃間違えていたのは、自分のために勉強していたわけではなかったというところです。中学校、高校時代は本当に勉強ができなくて苦しかったです。でも、ただ覚えるだけの学問は、何の役にも立たないことを考えますと勉強ができなかったのはある意味よかったのかもしれないです。そして、自分では大変辛いことをしていても、喜ぶのは自分ではなく親や教員です。よい成績を取ってくるのをうちのコはこんなにできる、と自慢したいだけのこと。そうなると、こんな無価値なことをずっと続けていくのか、と絶望してしまってもおかしくなかったです。
最後に、よく高校時代にいわれてきましたが、身分が低いから、この学校にきている、身分が低い人間は、社会に出ても必要とされない。そうならないよう面倒見てやるからありがたく思え!としょっちゅう怒鳴られたものです。確かに、偏差値が高い学校は、自由でのびのびしている印象があり、それが身分が高いというか、特権階級のように見えてしまうのですよね。高校は偏差値で決まるのですが、これがなんだか身分を示しているような気がして、ある意味差別しているような、そんな気持ちもあります。身分が低い、と決めつけて、教育してやるからありがたく思え!と怒鳴られ続ける環境で、頑張って勉強?というのは果たしてできるのでしょうか?高校ばかりではありません。大学も同じような印象がありました。少子化で、経営が大変なのはわかるのですが、こういう態度を取られるのはどうなんだろうな、と思うのですね。
結論として、学生時代の私が間違えていたことは、スピードや点数ばかりがすべてではなく、答えに導く道のりをだいじにしなかったこと、自分が納得する勉強ができなかったこと、そして自分の存在を否定するような学校だったこと、だったと思います。まだまだあるかもしれませんが、間違えたことはこの3つです。当時は逃げる手段もないから、そこにい続けるしか方法もなく、誰かに聞いてもらうなどの手段もないため、ただ、そこにいるしかありませんでしたが、まさしく何のよいこともないとわかれば、逃げてもよかったなと思うのでした。逃げても、自分の大事なものさえなくさなければ、完全にだめな人間にはなりません。それは、若い頃の私には、分からなかったことです。
まだまだ、間違いはあると思うのですけれど、速く解決とか、そういうことより、自分のやり方でわかっていくことのほうが大事なんだなということに気が付きました。だからタイトルはそのままでいいがな、としました。相田みつをさんの言葉ですが、こういう意味だったんだなと、改めてすごいなと思います。
そして、大事なのは出会いです。間違いなら間違いを、答えなら答えを確実に教えてくれる人に出会うこと。何も知らなくて当たり前です。知るために学ぶのだから。それをなんでできないんだ!と怒鳴るような指導者では、そもそも勉強する気にもならなくなるでしょう。私が学生時代は、そういう、教えてくれるかたはいなかったんですね。
そんな悲しい人生になってしまい、自殺未遂も何度もしてしまいましたが、やっと、行くところがあって、やることも見つかるようになり、きちんとした指導者にも恵まれる環境に自分を置けるようになりました。本当に何度も自殺未遂をしましたが、それも新しい環境へ向かうために必要だったと考えれば、悪いことではないかもしれないです。大事なのは、一番大事なものまで失わないことだなと思うんですね。いざというときは、それを頼りに生きていけますから。
そのままでいいがな。
単純な言葉ですが、これほど深いいみのある言葉はないかもしれない。なぜなら、変わるためには、きっかけが必要ですし、そのためには待つことも必要になるときもある。ときにはずっと止まらないといけないときもあるかもしれないし、時期が来るまで動けないこともある。だけど、大事なものは落とさない。そのためにも、そのままでいいがな、と思い続けることが大切なのですね。
