できないがあるからできる人がいるんだ。
増田朋美
「お前は一生身分が低いから、身分の高い人によって生かせてもらっているんだ、だから身分の高い人に生きていてごめんなさいと謝罪をして生活するようにしないと、犯罪者になるから、常にごめんなさいと思って生活するように!」
高校を卒業したときに担任教師に言われた名台詞ですが、そんなに国立の大学を受験しないのは悪いことだったのでしょうか。まあとにかくひどい教師であったことは間違いありません。国立の大学を受験するように、国立に行けば、よい会社にはいれて、よい地位をえられ、よい住まいを得られ、さらには災害を免れるとか、いろんなことを言いふらしていました。逆に私立大学を志望している生徒には、お金がかかるから親殺しの犯罪者とか、ろくな仕事もつけず、親不孝しかできないとか、いまとなればなんでこんなに変なことを?と思うほど、へんなセリフが飛び交っている学校だったんですね。
私自身は私大にいきましたが、ほかにも教師に叱られすぎて過呼吸になったり、精神障害を負ってしまった生徒さんはほかにもいたようで、少なくとも何人かの生徒さんが、学校が原因で体調を崩したりしていたようです。
高校時代、大学時代などに、不運な経験すると、なかなかそれを引きずってしまって、非常につらい人生になってしまう。では、身分が高いとはどういうことなのか?と、反抗的な態度をとった生徒さんがいましたが、会社勤めをしている人、医療、介護、福祉など世のため人のために働いているひと、そして自分でお金を稼いでいる人が身分が、高いと返ってきました。
たしかに、そういうひとは尊敬されたりもしますけど、では、そういう仕事に就いていれば間違いなく幸せで、間違いなく正しいいき方なのか?と考えてみましたが、多分そうではないなと思うようになりました。
その理由は、古代中国の老子という本に、汚いがあるから美しいがあるという言葉があったから、そう考えるようになったことです。たしかにいろんな事ができるのはすごいですし、本人も努力するんだと思いますが、一番大きな大前提に、できない人がいるから、というのがまず必要ですよね。全部が勉強ができていたら、勉強する意味がないし、勉強を教える意味もないのです。相田みつをさんの本にもありましたが、できない人がいて、初めてトップが生きる。これは、できない人のおかげで、できる人が生かされてくるわけですよ。
また、短時間だけでしたが、仏法も少し学んだのですが、そのなかにも出てきましたね。人間は、人間の手で生かされているわけではないのです。人間もあくまでも動物ですから、自然のなかに生かされている。だから身分の低い人は身分の高い人に養われているのではなく、身分の高い人も低い人も、みんな自然のなかで生かされているのです。これを間違えると、大変なことになる。これをちゃんと頭に叩き込んでおかないと、原子爆弾のような恐ろしい兵器を作り出すことになるのです。
最近は大規模な災害もたびたび起きており、ちょっと考え方を変えないと生きていけない事例も増えてきました。いろんな転換法が示されていますが、できない人のおかげでできる人がいる。ということにも、着目してほしいなと思います。自分の力でどうのよりも、できない人がいるから、バイオリンが弾ける、と考えると、周りのひとをたいせつにできますし、自分がより謙虚になってくる。最近の大規模な災害のせいで、当たり前なことができなくなることも増えていますが、それを減らすには、自分が生かされている、へ考え直す必要があるのではないかと思うのですね。
昔の人たちは便利な道具はありませんでした。大量破壊兵器もありませんでした。だけど、それにより、自然に対して謙虚になろうという姿勢はありました。便利な道具が横行しすぎている現在、自然さえもコントロールできる!と勘違いしているのではないか?と思われる人物が国家元首になるなど、ちょっと変だなという事例が蔓延ってしまっています。
別に不便な生活へ戻れといっているわけではありません。ただ、生かされているということ、そしてできないがあるから、できるがあるということ、これを感じ取って生活したいと思っているだけです。何でも完璧に!ではなく、できないがあるから、できる人が花が咲くんだ!に変えていけたら、ずいぶん人生も楽しくなるのではないかなと思うのですよ。
私は、高校卒業後に、大病し、すごくつらかった時期もありましたが、このできないがあるからできるという理論にであったとき、なるほどなと思いました。
美しさでも同じです。汚いがあるから美しいがある。お互いに片方だけでは、あり得ないのです。
たくさんの災害や、テロリズムの横行している今、このことは、忘れずに生きていたいと思いました。
忘れないで、しっかり生きていたいですね。
