東京大学大学院合格体験記

東京大学大学院合格体験記

中星一番

中星一番

東京大学大学院に入学するまでにしたことについて、リクエストがあったので書いていく。目標を持って何かに取り組んでいる諸君らにとって、何かしら参考になることが書けるかもしれない。今となっては、東大に受かったことなど何の役にも立っておらず

「何のためにあんな無意味で無価値で、しかも興味のないことを勉強していたんだろう」

「1ミリも使う宛のない知識を詰め込んで、1年も経たないうちにそれを全て失うために、俺は大学の学費680万円と18歳から22歳という一番エネルギーがある時期を無駄にしたのか」

と思っているが、当時の俺は東大に行くことで「人生が好転する」と本気で思っていた。当時の俺よりも圧倒的情報強者の諸君らは、もっと実りあるゴールに向かって努力を積み重ねていることと思う。しかし、「ガチで人生を変えるために努力をしている」点は当時の俺と一致しているであろうから、この記事は諸君らにとって割と有益な内容になるのではないかと思う。当時の俺の心情、モチベーション、生活習慣などをできるだけ詳細に書いていこうと思う。ではスタート。

第一志望の首都大学東京に落ち、東京理科大、法政大学にも落ちた俺は芝浦工業大学工学部電気工学科に進学した。高校は推薦で進学したため、大学受験は人生初めての受験だった。「偏差値50の高校で学年1位だったことで謎に自惚れた、受験に関して完全なる情弱な俺」は、無謀にも理系に進み、しかも国立を目指すという暴挙に出て当然の如く失敗した。しかし、受験生活を経て完全に文部科学省に洗脳された俺は、「この敷かれたレールで頂点に立つ」、「大学院は東大に行こう」と決めていた。大学生活は4年までみっちり必修が入っておりめちゃめちゃ忙しいながらも、夏休みや春休みなどを利用して1年の頃から大学院受験の準備を進めていた。キャンパスゼミシリーズの「微分積分」「線形代数」「微分方程式」「ベクトル解析」「ラプラス変換」「フーリエ変換」「確率統計」「複素関数」「電磁気学」をひたすら頭に入れていた。電車に乗ってる時は英単語帳を開いたりTOEICのリスニング問題を解いたりなど、隙間時間を一切無駄にしなかった。大学受験生活で培った癖がそのまま大学生活に受け継がれた。

今でこそ、学歴を追い求めることは「合理性を欠いたカルト的行動」だと思うものの、当時は楽しく勉強していた。大学2年の時に彼女ができるものの、「彼女とのデートよりも大学の課題や勉強をしていたい」と思っていたほどだ。デート中に参考書を読んでブチギレられたこともある。その彼女で童貞を捨てたが、膣内射精障害であることがわかり、約1年間の交際のうち、SEXは数回しかしなかった。当然フラれた。当時の俺は「まあ、将来的に結婚するんだろうし、大学生のうちに恋愛ぐらいは経験しとくか」ぐらいのモチベだったため、彼女ができても特に浮かれることも恋愛にのめり込むこともなく、カルトの信者の如く「参考書という名の教典を理解すること」に腐心していた。

彼女よりも、学部で出席番号が一つ前のT君との方が付き合いは濃密だったのではないかと思う。彼は東工大の大学院を目指しており、ウマがあった。お互いに情報交換をしながら切磋琢磨していた。彼は東工大の第一志望の研究室に受かり、なんと博士まで取ったらしい。彼とは、大学院に入り、俺がナンパに目覚めた初期段階で一度飯に行ったきりで音信不通である。彼と渋谷で飯を食いながら、「ナンパをしようと思う」と打ち明けた。彼は応援してくれた。俺は彼に見てもらいながら、ハチ公前で声掛けを試みるも、JK二人組に声をかけ、目の前にスタバがあるのに「スタバってどこにありますか?」というアホ丸出しの声掛けをし、親切にも場所を教えてもらって声掛けを終えるという体たらくっぷりだった。彼はそれを温かく見守ってくれた。いつかまた飯でも行きたいと思っている。とにかく、大学生活はこのT君と常に行動を共にしていた。

そして、バイトは地元の練馬で個別指導の塾講師を4年間続けた。指導中に大学の課題をやったり英単語を覚えたりなど、とにかく暇さえあれば勉強していた。「自分の勉強をしながら、ついでに中高生に勉強を教えるだけで80分で2000円ももらえるなんて、素晴らしい仕事だな」と思っていた。高校生に物理や数学も教えていたので、それが復習になったのも大きかった。勉強したい大学生にとって塾講師は天職ではないかと思う。生徒からも「熱心な先生だ」と思ってもらえていたと思う。進路相談や授業外での対応もしっかりやっていた。人にアドバイスをするのは当時から好きだった。

とにかく俺は、生活の全てを東大に受かることに捧げていたんだな、と今振り返って思う。バイトも、友達や彼女との時間も、普通の大学生なら遊び呆けるであろう長期休暇も、最優先事項は常に勉強だった。それぐらい、勉強にハマっていた。小中学生がゲームにハマるのと同じ感覚なのではないかと思う。「好きだから常にそれをやる」というマインドだった。そしてこのマインドは今も受け継がれており、今は暇さえあれば政治の勉強、SNS、子育て、嫁との関係構築などにエネルギーを注いでいる。当時と違うのは、「本当にやりたいと思っていることに取り組めていること」である。当時の俺は文部科学省の洗脳化にあり、とてつもなく視野が狭かったので、「一番やりたいことは勉強である」と思い込まされていた。だからこそ、あんな無駄なことを4年間も続けられたのだと思う。

そして、その洗脳はナンパに出会ったことで完全に払拭され、今度は「俺が本当にしたいことはナンパだ」と2年間本気で思い込み、ナンパに全てを捧げた。ナンパの指導代を払うため、洗脳による凝り固まった思考・常識・マインドを破壊するために売り専で働いたりAVに出たりなど、極端にも程がある行動をとっていたが、勉強よりは圧倒的に有益だったことが救いである。諸君らは、俺のように23になってようやくやりたいことに取り組むのではなく、もっと早い段階からやりたいことに取り組んで欲しいと思う。これはホリエモンも言っていたことだが、「生まれた時から優れたテクノロジーが身近にある若い世代が羨ましい」と心の底から思う。俺はよく「今の状態で中学生に戻ったらどうするかな?」みたいなことを考えてしまう。それぐらい、「敷かれたレールの上を歩かされていた過去」に不満がある。「中学生でナンパを終わらせて、高校生でビジネスを終わらせて、18歳から完全に好きなことして生きていけてたら最高だったのにな」と思う。こういう後悔があるので、子供にはそういう思いをさせないように、早い段階から好きに生きていけるように援助していきたいなと思っていて、それが育児のモチベーションになっている。

そんな生活を大学4年になるまで続け、いよいよ受験まで4ヶ月というタイミングになった。4年時に配属されたのは比較的ゆるい研究室だったため、8月の大学院入試が終わるまでは研究は一切やらないと決めていた。最後の大詰めの期間に東大大学院の過去問をひたすら解いた。東大の院試は英語、数学、専門であり、英語と数学の勉強はほぼ終わっていたが、専門科目をどうするのかは4年まで決まっていなかった。専門科目は必修2科目(電磁気学、電気回路)と選択2科目であり、最終的に選択科目は「電子物性」と「半導体デバイス」にした。物理が好きだったので、できる限り物理に近い科目を選んだ。あとは、大学4年になると、「何やらアメリカで博士課程を取るというスーパーエリートコースがあるらしい」ということを知り、「アメリカは半導体が強いので、半導体を勉強しよう」という浅はかすぎる理由もあり、この二つを選択した。一応、大学院入試はどれぐらいの難易度なのかを見てもらおうと思う。

数学

専門

俺が解いた問題は過去問集から消えていたので、この問題を解いたわけではないが、難易度の目安はこれぐらいである。もう試験から8年も経っているので、今見ても何のこっちゃさっぱりわからない。「当時の俺は、こんな無価値かつ意味不明な問題を解くために必死で勉強していたのか」と思うと、やはり怒りが込み上げてくる。こんな問題解けなくても人生で何も困ることはないのに、当時の俺は「これを解けるようにならないと人生が終わる」と思っていた。洗脳の力は本当に恐ろしい。悪用してはならないとつくづく思う。

数学は7~8割、専門は半導体デバイスと電子物性は全く手応えはなかったものの、電磁気と電気回路はまずまず、英語(TOEFL ITP)は大得意だったのでほぼ満点という手応えで、無事合格した。進路は駒場キャンパスの研究室だった。第一志望は本郷の研究室だったが、流石に内部生には勝てず、希望の研究室にはいけなかった。「柏キャンパスの研究室にならなかっただけマシか」と思った。東工大は大岡山キャンパスの第一志望の研究室に受かった。英語はTOEICで900点近くあったのでほぼ満点扱い、数学と専門(電磁気学、電気回路)は東大の半分ぐらいの難易度しかなく、余裕で合格した。「東大は第一志望の研究室落ちたし、T君と東工大に行くのも悪くないかな」と思ってものの、「流石に東大蹴るのはあり得んだろ」と2秒で考え直して東大に進んだ。

東大生活は、登校初日に赤門をくぐって学生証を手にした瞬間がピークだったと記憶している。そこから先は、とにかくアメリカの博士課程を目指して、アメリカの有名大学に進学した人の講演などを片っ端から聞きにいきながら、TOEFL iBTの勉強を隙間時間にこなし、全くの専門外の研究を押し付けられ、イヤイヤ研究をする生活だった。今思い返すと、なんとなく、勉強に対するモチベーションを失っていたのかもしれない。東大に無事受かった達成感もあるし、アメリカの博士課程に進学することがとんでもなく難しいということが徐々にわかってきたのもあり、「もういいんじゃね?」と思っていたのかもしれない。そして、トランプが2016年に当選し、留学生たちが強制帰国させられまくっていたのもモチベを失わせる要因だったと思う。

そして、その頃に自己啓発本にハマり始め、「ナンパ。最高の男磨き術」という本を読み、全てが変わってしまった。「俺がやりたいのは間違いなくこれだ」と確信を持った。これまでの人生で、あそこまで心が震えた瞬間はなかった。この瞬間、完全に文部科学省の洗脳が払拭された。徹夜で本を読み終え、その勢いのままナンパ掲示板で合流相手を募った。T君にも真っ先に知らせ、先述した通り、「かろうじて道を聞くぐらいしかできない実力である」と自覚し、教えを乞う必要があると判断した。そして、最初に会ったのが2年間お世話になったPさんである。彼と初めて会った時、「こんな面白い人間がいるのか」と思った。「彼みたいになりたい。いや、彼のマインドと、俺のこの東大に入れるぐらいの勤勉さを組み合わせた結果が知りたい」と心の底から思った。そこから大学院を休学するのには2ヶ月を要したが、レールの敷かれた人生も、家族も、友達も一旦全て捨て、彼に人生を預けようと決めたのが、2018年の1月1日である。「それまでの人生は、レールの上をただ歩いていただけで、人生とは言えない」と今振り返ってみて思うし、当時の俺もそう思っていた。2018年に、俺は生まれたのである。つまり俺はまだ7歳であるということだ。7歳なんて可能性の塊だろう。「俺はこれから何にでもなれる。」「俺の人生はこれからだ。」と毎日思いながら過ごしている。諸君らも、今すぐに人生をスタートさせてほしいと切に願う。ちなみに、一旦捨てた家族とは、嫁と子供のおかげで仲直りすることができた。とても嬉しく思う。

とにかく思うがままに筆を取ってみたが、どうだったかな?この記事で伝えたいのは、「とにかく、自分がやりたいと思うことにハマれ」ということである。「やりたいことがないんです」という声をずっと聞いてきたし、最近もよく聞く。SNSを始めたて時の俺は「んなわけねえだろ」と一蹴していたが、どうやら本当にやりたいことがない人間がいるらしいということに最近気づいた。「おそらく、俺みたいにやりたいことが多すぎて何から手をつけていいのかわからないような人間の方が少数派で、ほとんどの人はそんなエネルギーはない」ということが最近腹落ちした。そういう人は、この記事を読んでも「暑苦しいな」と思っただけだと思うが、何かやりたいことが明確にある人にとっては、背中を押す内容であったのではないかと思う。

「やりたいことがあるならさっさとそれをやれ。それに誰にも負けないぐらいにハマれ。そうすりゃ気づいたら人も金も女もついてくるから。」と自信を持ってアドバイスしたい。ただし、くれぐれも、大学生の俺のように「やりたいと思い込まされていること」にハマってはいけないぜ。君がやることはまず「洗脳を解くこと」だ。そこから逃げてはいけない。俺は23年かかった。君はもしかしたら大学生の俺のように、洗脳されていることにすら気づいていないかもしれない。一旦人生立ち止まって、本気で自問自答することから始めてはいかがだろうか?「やりたいことがない」と思っている諸君も、本当にやりたいことがないのかを自問してみるといい。

ここまで読んでくれた君は、この記事を読んだ上で何をするのか、コメント欄なり引用リツイートなりで書いてみたらいいと思う。「面白かった」、「ためになった」と思ったなら拡散してくれたら嬉しい。

Chat GPT様のおかげで業務に割く時間が大幅に減ったおかげで、こういう風に突発的に長文記事を書く余裕ができたので、「こういうの書いてほしい」などのリクエストがあったら教えてくれ。

そんな感じで、よろしくオーシャンパシフィック🏖️✨


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