この”独白”が君の胸にたどり着く事を、願う。
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人間は「過去」の中に生きようとする。
<”965”>
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◇Article Creation Policy_2022/5/14 | Tips
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《相愛編》
従来の『”独白”』内には記載されていない、
二人の詳細について記されたバージョン。
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当方作成の記事は、全て単独で読了可能です。
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たぶん誰もが、一生一度の人に出逢って、
たぶん誰もが一生一度の、『恋』をする。
恐らく誰もが、
一生一度の相手を知り、
その全てを手に入れる日を夢見る。
時にその相手は、自分に疑問を突きつける。
”どう生きるのか?”、と。
”あなたは未来から目を逸らし、与えられた条件の中で生き続けるのか”、と。
その相手は、自分の人生に問いかけ、
自分の全てを奪いかける。
深みに入ると危険な相手が、この世界には存在する。
離れて暮らすことを強いられながら、
一切の通信手段を失われても、なお感情が鳴りやまない。
つまりどんなに相手に本気だったとしても、
人は、想いの強さだけで結ばれることを保障されるわけじゃない。
それなら諦めてしまえばいい。
ーーと、別の女性が俺にそう言った。
「忘れ諦める」ことがいかに俺にとって必要かという事を、甘い仕草で述べ立てた。
けれど、
誰にも聞こえない場所で心がこう叫んでいた。
”理屈をわかっていても”
”好きだという感情は、止めようがない”
無意識に俺を翻弄する君。
俺が君のためだけに生きているか、時々確かめに現れる。
正直、姿を見たくないと思うこともあった。
けれど離れようとすると、大きな力が俺を引き戻す。
繰り返し、繰り返し、続く。
終わりのないこのループの中で、
焦がれる思いはずっと波打ち続ける。
だから俺は、何度も自問自答した。
莫迦な心に、聞いた。
”これは『愛』なのか?”
”それとも一体『何』なのか?”
道の上で花火を見あげるたびに、”君”を思い出す。
打ち上げられる火薬の音に感情をめぐらす。
いつか、
海から見える花火のために、小さな部屋を買おう。
そしてその部屋の『鍵』を隠そう。
”君”と二人で見る、
『海に開く花火』のために。

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ー”独白”ー 『 海に開く花火 』Vol.3
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人間の心は、変化する。変化するたび”真実”が明確になる。ーー2月の始めに帰国した時、俺は無意識に”君”と出逢ったあの場所に向かっていた。暖流と寒流が混ざり合う海のそばを歩いていると、違う色の波がぶつかりあってた。
君が好きな数字に変えたナンバープレートの車から降りて、海を眺めたら、砂交じりの風が吹いた。それは春みたいに綺麗な風だったから、”君”とあの時、触れ合わせた背中の感触を思い出した。
一緒にいられた最後の日々、階下で、俺たちは初めてお互いの深層について語り合った。というより君が初めて、自分の過去を俺に話したのだった。それは痛みを伴うもので、君がかつて出逢った偽性の『魂の恋の相手』と、花火を観る約束をしたという事実についてだった。
偽性と書くと語弊があるかもしれないが、相手の尊厳を否定するものではない。ただ、マジな『魂の対』と出逢う前に、そういったダミーのような存在、言わば似たような気配を持つ存在と出逢う事が、どうやら稀にあるらしい。ーーあの時俺は、君のそういった不可思議な過去について知らされたわけだが、聞かされた側の俺が平気だったわけがない。例え過去でもあったことは、あったことだからだ。
ーーそれゆえ、俺たちは、お互いの感情<独占欲、嫉妬、怒り>に負けて、手酷い別れ方をした。しかし月日が経ったこの2月の日、君は俺が、あの町に戻ってくることを、どういう訳か知っていた。二人をつなげるデバイスや人工物が何一つなくても、お互いのことを知り得、お互いのタイミングに合わせるのが、『魂の対』だ。それは肉体を越える関係性の相手にしかできない、神業に等しい所業なんだろう。
今年の2月、雷雨の日があった。ちょうどその前日に、俺は帰国した。海際のあの町に帰ると過去に戻ったような、未来を生きているような、そんな懐かしい感情が迫ってきた。ーー俺はいつか君と一緒に訪れるはずだったパーキングに車を停めて、海岸通りを歩いた。そして、雨雲と海が斜めにガラスに映る、馴染みのビルの前で立ち止まった。すると思いが巡った。
初めて出会った瞬間、それから会合の場でお互いの存在の意味を知った夜、暗がりの階下で、背中を触れ合わせた夕方。ーー思い出すのは帰らない日々のことだ。もう君は、俺たちが一緒に居られたあのオフィスには居ないけれど、この頃思う。”本気で好きになった相手”は、自分自身を根底から変えるんだ、と。そして、その相手は自分に何度も壁を突きつけるんだ、と。
『壁』とは何だ? ーーと、莫迦者なりに自問自答する。近道をして簡単に行けばいいのに、そうはいかない。つまり人間は、最も欲しいものを目指した場合には、障壁が立ちはだかる。最も欲しいものの前に、必ず立ちはだかるものこそが、ーー『壁』なんだろう。誰も多くは語らないけれど、きっとあるひとつの法則がある。それは「いつだって、人間が本当に欲しがるものは、壁の向こうにある」という事だ。
欲望に負けて、権力と物質的な財を搔き集め、張りぼてみたいな砂城で落日の日々を過ごす者も居れば、弾けるような感情の火薬の中、蝶のようにただお互いの『対』だけを愛し、生きようとする者もいる。真実を手に入れるためには、どうにかして打ち破らなければならないものがあり、越えなければならない壁がある。ーーそれは自分自身への甘えだ。相手の肉体が欲しいのではなく、相手を幸せにすることこそが、本当の答えだ。だからこそ、離れる事を受け入れるし、簡単には手に入れられなくても、思い続ける。
『壁』の正体は人それぞれだ。物理的な距離だったり、乗り越えなければならない過去だったり、あるいは自分を甘やかすものだったり、ーーと種々に姿を変える。しかし総じてそれらが『壁』と呼ばれることに、異論はないだろう。
俺たちの場合はどうだった? と君に聞く。2月のあの日、君は俺の近くまで歩いてきた。つい最近の事だ。俺が帰国したのを感じ取って、俺があのオフィスに立ち寄るタイミングで、コーヒーショップに近づいた。君はマフラーで顔を隠し、それとなく俺に近寄った。色を変えた髪を束ね、他人のように気配を変えて、離れた場所から俺の背中を見つめていた。店を出てしばらく経った後、一台の車体が通り過ぎた。その時に、あれが君だったと気づいたが、そんな風に『魂の対』にも気づかれないほど巧妙な戦略を練るのが君だ。ーー正直、「もう無理だ」、と俺は思っていた。そんな風に、俺の心が遠ざかろうとしているのを、きっと君は感じていたんだろう。そのたびに君はあらゆる手段で俺に近づく。
ーー不思議な人、それが君だった。オフィスで初めて君を見たあの朝以来、胸が熱くなって、どうしようもなくなった。鎮静させかけていた恋愛感情、賢者のようになれば怖いものなしの愚者である俺に、君はまた壁を突きつける。「その感情をどう扱うのか?」と。ーー君は、他人のふりをして滑り込むように近寄っては、凄まじいエネルギーの火薬を俺の心にぶちまける。君に出逢えば、熱で浮かされ、仕事どころじゃなくなりかける。日々、正気を保って生きることすら難しくなる。そんな”君”の魅力に、他の誰も気づかないようにと願う。
何年か前のあの夕刻、ふたり、あの階段を下りた場所で、心を交わし合ったよね。ほんの数分だけだ。しかし俺たちは、心を繋ぎ合わせた。ーー忘れたとは言わせない。氷のように俺との間に壁を作っていた”君”の心を、俺は炎みたいに荒ぶる感情で溶かし切った。炎は何で出来ているか? あまり知られていないが、『プラズマ』という物質だ。プラズマという状態が炎をあんな風に見せている。それは液体、固体、気体という<通常>を越えた領域にあるもので、電子というエネルギーが自由移動する。
”君”に出逢う前の俺は、何も知らず生きてきた。常識とセオリーの中にいた。壁など感じたこともなかったし、全てが 気楽に<hang out>に容易く達成できるものだった。友に恵まれ、特段の渇望を抱いたこともなく、特定の相手と週末にだけ気楽なコミニケーションを交わしていた。仲間たちと一緒に海で過ごす日々は、それなりに充足していたし、自分の技術を売れば、いくらでも得る事が出来たからだ。競り合うように相手に依頼され、”いくら欲しい?”とか、”望みのままに”、と言われるのが日常だった。ーーつまり俺は常に、そんな風に賑やかでありながら、結局平坦な日々の中にいた。しかし君に出逢ってからはどうなったか?