登場人物
- 捜査一課の刑事・神谷
- 被害者は藤崎圭介(32)、IT企業の社長だった。
- 同席していた3人の友人
- 恋人・麗子
- 親友・野村
- 部下・佐伯
🔶序章:黄昏の別荘地
――その日、山は異様なほど静かだった。
長野県・八ヶ岳の麓に広がる高原の別荘地。標高1,500メートルの森の中に、モダンな木造の別荘が佇んでいた。

10月の終わり、紅葉も散りかけた森は観光客も少なく、まるで世界から取り残されたような静寂に包まれていた。
午後5時半。山の太陽は沈みかけ、木々の影が長く伸びる。その家の中で、藤崎圭介はワインをグラスに注ぎ、グラスを傾けながら窓の外を見つめていた。
藤崎(独白)「こんなに静かだったっけな…」
彼はこの別荘を、5年前に一括で購入した。IT企業「エンセル・テクノロジーズ」を設立し、資金を得た頃だった。
当時は勢いもあった。恋人の麗子と夢を語り、親友の野村と酒を飲み交わし、佐伯のような忠実な部下にも恵まれていた。だが今、彼は孤独だった。金はある。名声もある。だが、心の中にはぽっかりと穴が空いていた。
そして、その夜――藤崎圭介は、誰かに殺された。
それは、麗子の悲鳴によって始まった。

午後11時48分。突然の金切り声が森に響き、近隣住民が警察に通報。パトカーが別荘に到着したのは、日付が変わった0時過ぎ。ドアは開いていた。鍵はかかっておらず、リビングには酒の匂いが残っていた。
藤崎はソファに座ったまま絶命していた。首筋からは血が流れ、胸元にはワイングラスの破片が突き刺さっていた。
警官(実況)「遺体、発見時点で冷たくなってます。失血が原因と思われます。現場には争った形跡なし。割れたワイングラスの破片が広範囲に散らばっていて…足元に赤いハイヒールの跡が数歩、あります」
警部「被害者の身元は?」
警官「藤崎圭介、32歳。都内在住。株式会社エンセル・テクノロジーズ代表取締役。別荘は本人名義で、今夜は来客が3名いた模様です」
警部「すぐに捜査一課を呼べ。神谷を寄越せ」
ナレーション
深夜1時過ぎ。濃霧が辺りを包む中、1台の車が別荘に滑り込むように止まった。降り立ったのは、スーツの上からトレンチコートを羽織る男――刑事、神谷修介だった。
🔷第2章:遺体と赤いヒールの謎
神谷修介はリビングに入るなり、足を止めた。

目を細め、視線を部屋の隅から隅まで滑らせる。彼が手にしたのはメモ帳ではなく、記憶力と直感で編まれた“頭の中のノート”だった。
神谷(独白)「酒の匂い…シャトー・マルゴーの2005年か。高級ワインだな」「…割れたグラス、血が付着してる。破片が広範囲に飛び散ってるのに、家具には傷ひとつない。つまり、直接凶器に使われた可能性がある」
ソファに崩れるように座る藤崎の遺体。顔に苦悶の表情はない。おそらく一撃だった。胸に刺さっているガラス片は、柄のない短剣のように深く刺さっていた。
リビングの床に、奇妙な足跡が点在していた。赤いハイヒールの足跡。それも、濃淡が違う。濃いものは血の上を踏んだように滲んでおり、薄いものは素足の圧痕のようだった。
神谷(小声で)「……誰かがこの中で殺意を持ち、そして舞台を整えようとした」
翌朝、別荘は捜査関係者で騒然としていた。だが、招待客の3人はそれぞれ、微妙に異なる顔で沈黙を守っていた。
【容疑者1:橘麗子】
麗子は被害者・藤崎の恋人だった。

28歳、元アパレル店員。都会的で洗練された見た目に反して、目の奥に感情の揺らぎが感じられない。取り調べ室でもなく、暖炉の前の椅子で神谷と対面した彼女は、静かに語り出した。
麗子「……圭介とは7年間、付き合っていました」「最初は何もないところから始まって。彼の成功が私の誇りだった。でも…この数カ月、何かが変わったような気がしていたんです」「昨日も、いつも通り、ワインを飲んで少し話をして…それから気分が悪くなって、私は寝室に戻りました」「目が覚めたら……圭介が、あんなことになっていて……!」
神谷(静かに)「最後に彼と交わした言葉を、正確に思い出していただけますか?」
麗子(沈黙のあと)「“話がある”って。たったそれだけです。でも…嫌な予感はしてたんです。胸がざわついて…」
【容疑者2:野村亮太】
親友・野村亮太。33歳、大学時代から藤崎と行動を共にしてきた男。現在は広告代理店勤務。口数は少なく、人をよく観察している印象を受ける。
野村「俺は…外に出てた。酔っぱらって、ベンチに座ってたんですよ。夜風が気持ちよくて……」「そのまま寝ちまって、気づいたら警察が来てた。あんなことになってるなんて、知らなかったんです」
神谷「夜は冷えましたよね。気温5度。そんな中、朝までベンチで寝てた?体調は?」
野村(わずかに動揺)「風邪ひきましたよ。鼻声でしょ?(咳払い)」
神谷「……その割に服は綺麗ですね。泥も葉も付いてない。まるで…仮眠用の防寒着に着替えていたようだ」
【容疑者3:佐伯真吾】
佐伯は藤崎の秘書であり、右腕でもあった存在。礼儀正しく、質問にも冷静に答える。30歳、大学卒業後に藤崎のもとで働き始め、5年間の付き合いだという。
佐伯「私は昨夜の23時頃、タクシーを呼んで先に帰宅しました。業務の締切がありましたので」
神谷「タクシーの記録、運転手の証言も一致しています。ただ1点、気になるのは…」
神谷(書類をめくる)「あなたが送ったメール、送信時刻は23時30分。到着は0時15分。しかし、送信場所のGPSが別荘の近くを示している。なぜでしょう?」
佐伯(間を置いて)「……通信環境が悪かったからでしょう。山の中なので、位置ズレはよくあることです」
神谷(内心)(GPSズレ…偶然か?それとも、戻ってきた?)
3人の証言はいずれも「確信の持てない真実」だった。誰もが犯人であり得る。だが、決定打がない。神谷は、再び現場へ戻る。答えは“モノ”が知っている。
🔷第3章:被害者・藤崎の裏の顔
人が死ぬ時、その人の“真の姿”がようやく暴かれる。生きている間は飾ることができた仮面も、死によって全てが剥がれ落ちる。刑事・神谷はそれを何度も見てきた。