
「ほら、娘だよ」
夏のある日、宵の時。私はとあるスーパーで買い物をしていた。この日は街をあげてのお祭りの日だった。浴衣姿の若者たちで溢れかえり、また避暑のために涼しいスーパーへと雪崩れ込んでいる人々のなか、たまたま知人と会ったのだった。
お互いに顔を認識すると、やあ、と言わんばかりに手を振って近付く。そうしてその人は言うのであった。娘と一緒だよ、と。娘さんとも実は面識がある。おなじバイト先で、働く場所は違えどよく顔を合わせ、同い年でもあるせいか、たまには一緒に帰ったり、学生だったのもあり時にはおなじ電車に乗り、その都度よく会話を交わした仲だった。しかし、卒業とともに顔を合わす機会もなくなり、いつしか彼女は結婚していた。
そんな彼女に、私は恋心を抱いていた。決して伝わることのない、儚い恋だった。もう忘れているとも思っていたのに、目の前に彼女は現れた。
「あ、久しぶり!」そう言うなり、子供が三人いてね、と言う彼女。あの頃と全く変わっていない。
「雰囲気変わったね」
そうだ、あの頃と比べたら私も随分髪が長くなった。痩せているのは変わりないが、それでも記憶に残っている以上に痩せているだろう。この数十年と言う年月は、あまりにも長くお互いの面影すら忘れてしまいそうな、そんな時間だった。恋とはなんだろうか。愛とはなんだろうか。結婚し、子供を授かり、大変ながらも幸せに過ごしている彼女とは違い、私は恋愛とは程遠い毎日を過ごしている。出会いもない、好きな相手もいない、恋愛してもすぐに別れをつき放たれてしまう。自分自身に、恋愛という言葉は似合わないのだとつくづく思う。まさに恋愛禁制状態だ。
人を愛するということは、もしかするととてつもなく大きな壁を乗り越えるということなのかもしれない。その壁とはどんなものなのだろうか。愛する資格があるのかもそもそも疑問だし、それ以前に愛することの意味すらもわからないのだとも、内心感じている。自分が愛されているという実感は全くなく、だからこそ愛するということさえ意味がわからない、どういう状態が愛するというのかさえもわからないままなのだ。
それなのに、彼女は何も変わらない様子で話をしてくる。あの頃と変わらない話し方で、接してくれている。この事実と、どう向き合えばいいのだろうか。
「そろそろ行くね、またね!」
