学校の勉強、やっぱり無駄でした 今から何を学ぶべきか(6700文字)期間限定無料公開

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表

こんにちは🍵

まじめに学校に通って勉強する人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です

ほとんどの人は、九九は使うけど、因数分解は使わない人生です

それを無駄と呼ばずして、何を無駄と呼ぶのでしょうか

「勉強ができること」と「生きる力があること」は、まったく別のスキルだが、なぜか多くの人が、その2つを混同して育てられてしまっています

いい学校に入れば、いい会社に入れる

いい会社に入れば、いい人生が手に入る

そう信じて疑わなかった世代が、今や後悔だらけの顔で生きています

勉強した先に「何もない」と気づいてしまった人のために、今日は書いていく

無駄だったと気づいた瞬間に、人生は動き出す

逆に、無駄だと気づかずにいる限り、ずっと空回りし続ける

勉強したのに報われないあなた

勉強が嫌いだったことで劣等感を持ってるあなた

どちらにも言いたい

あなたのせいじゃない、それは教育の構造のせいだが、

被害を受けるのはあなただ

***********************

「義務教育」は、もう誰のためでもない仕組み

「義務教育」は教育を受ける側の義務ではない

「国が国民を教育する義務」「親が子どもに教育を受ける環境を提供する義務」という意味だだから「学校に行け」と脅されて育った人は、最初から情報をねじ曲げられている

そんな親は頭が悪く、義務教育の意味を知らなかった可能性があるが、子ども自身が「教育を受ける義務を負う」という意味ではない

しかもその義務教育は、今の時代には完全にミスマッチだみんなが同じ授業を、同じ教科書で、同じスピードでやらされるしかし社会に出たら、全員違う道を歩む

それなら、学ぶべきことも違って当然だ

音楽家になりたい子に、因数分解は必要ない エンジニア志望の子に、短歌の技法はほとんど役に立たない ではなぜ、それを「必要なこと」として詰め込むのか

答えはシンプルで「楽だから」バカみたいに全員に同じことを教えれば、管理が楽だ教育が個人の幸せのためじゃなく、システム維持のためにある証拠だ

一人ひとりの得意・不得意、性格、将来の方向性 そういうのを無視して「これが標準」と押しつけてくる教育は、もはや洗脳に近い

しかし、あまり役に立たない事を教え込むのだから、洗脳としてはレベルが低い

そして、その型に合わない子どもが苦しんでる 授業が理解できない→落ちこぼれ扱い→自己肯定感が削られる→社会でも苦しむ このループを止める気配は、どこにもない

学校という場所は、「みんな一緒に進むこと」が前提になってる だけど人生は、本来はバラバラに進む その当たり前すら許されないのが、今の義務教育

「学校は社会の縮図」ってよく言うが、それがもう地獄だという話

社会で学校の勉強が活きるのは、ごく一部の職業だけ

「勉強しておけば、将来困らない」なんて嘘だ 実際に大人になってみればわかる

学校で習ったことなんて、9割以上は使わない

もちろん、例外はある研究者、医者、数学者、科学者、法曹、建築設計、あるいは超高度なIT系こういった専門職なら、確かに学校で学んだ知識が基礎になる場面がある

でも、その職業に就く人は、ほんのごく一部の人間だけだ 全体の1割にも満たない職業群のために、残りの9割を同じカリキュラムで押しつぶす この時点で、制度としてすでに破綻してる

あなたが今の職場で、連立方程式を使ったことがあるか あなたが会社で、古文を訳して感想文を書いたことがあるかそんな事、ほとんどの人はしていない

必要なのは、仕事を回すための段取り力、計画力人と調整するコミュ力わかりやすく伝える言葉選び知らないことを調べる検索スキルそれなのに、どれも学校じゃ教えてくれなかった

実際に評価されるのは、知識の量じゃなく「空気を読む力」や「場の回し方」どれだけ漢字が書けても、タイミングを間違えた発言で干される社会が現実

結局、必要だったのは「勉強」じゃなく「適応力」だったということ勉強ができる=社会で優秀、という幻想に縛られた人たちはそのズレに気づいたとき、自分を責め始める

学校の勉強で得た知識が「一度も役に立っていない」と感じる人は、かなり多い それを表に出すと「お前の努力が足りない」と言われる だからみんな、気づかないふりをして生きているだけ

「勉強=正義」と刷り込まれた人ほど、現実を直視できなくなる 無駄だったと認めるには、あまりに時間と労力をかけすぎてしまったから

でも、その事実にフタをしていても、これからの人生には何の役にも立たない

「正解がある前提」で育つと、人生に詰む理由

学校でずっと教えられてきたことは、「正解を探せ」という姿勢だった 教科書に載ってる答えを当てれば丸、間違えればバツ 正解を出すスピードと精度が高い人間が「優秀」とされてきた

でも現実の人生に、そんな正解は存在しない 転職するか、残るか 結婚するか、別れるか 子どもを産むか、産まないか どれにも「唯一の正解」なんて、どこにもない

作った製品が売れれば良く、正解はいくらでもあるという場合もある

なのに、正解があると信じ込まされて育つとどうなるか 迷ったとき、自分で判断できない人間ができあがる 常に「正しい答えはどこ?」と外部に答えを求めるクセがつく

だからマニュアルがないと動けない 正解が提示されないと、不安で行動できない 想定外のことが起きると、すぐフリーズする そんな人間が量産されているのが、今の社会の姿

「間違えること=ダメなこと」と刷り込まれた人たちは、挑戦しない 失敗を恐れてチャレンジしないから、成長できない 結果、「頭がいいけど行動できない人」ばかりになる

実は、社会で活躍してる人って、間違いを恐れてない 正解がないことを前提に、仮説を立てて試してる そのプロセスこそが、仕事でも人生でも一番求められる能力なのに それを潰してきたのが学校教育だった

「間違ってもいいから、自分で考えて答えを出す」 この力を育てなかった結果、大人になってからの選択肢が持てない人が増えてる

「何がしたいかわからない」って言ってる若者の多くは 自分で考える力を封じられてきた人たちだ 正解ばかり追い求めさせられたツケは、ずっと後になってからボディブローのように効いてくる

偏差値エリートが、社会で通用しないのはなぜか

偏差値が高い=頭がいい=仕事もできる そんな単純な公式を信じてると、現実でひどい目に遭う

学校では、テストで点が取れる人が優秀とされる でもそれは「出題者の意図を正確に汲み取れる」能力にすぎない つまり、空気を読む能力と、指示待ちの姿勢の延長でしかない

一方、社会で求められるのは「まだ誰も答えを出してないこと」に向き合う力 正解が決まってない問題に対して、仮説を立て、調整し、責任を持って進める力 偏差値で高評価を得てきた人ほど、これが苦手だったりする

なぜなら、ずっと「指示されたことを正確にやる」ことしか訓練されてこなかったから自分でゴールを設定する力がない 自分で納得できる答えを作る経験がない だから「答えのない状況」に直面した途端、思考が停止する

さらに、プライドが高い 勉強ができる=偉い、と思い込まされてきた人ほど 仕事で評価されないと、自分の価値を見失って病んでいく

「なんであいつのほうが出世してるの?」 「自分のほうが賢いはずなのに」 その違和感の正体は、学校で教えられてきたスキルと 現実社会で求められるスキルの乖離にある

偏差値教育は「処理能力」は伸ばすが、「創造力」「共感力」「巻き込み力」には弱い これらが足りないと、チームでも独立でもやっていけない だから「賢いはずのあの人」が、どこかでつまずいて動けなくなる

しかも、成功体験しか積んでこなかった人ほど、失敗に弱い 初めての壁を乗り越える術がないまま社会に出るから、折れやすい

勉強ができることが人生の保証にならないどころか むしろ「落差」を大きくしてしまうトラップにすらなることがある

勉強できた人ほど、メンタルを壊す社会構造

実は、学校の成績がよかった人ほど、社会に出てから壊れやすい これはただの皮肉じゃなく、現実にかなりの数のケースがある話

なぜなら、勉強ができる人ほど「努力すれば報われる」と信じてきたから 努力すれば点が取れる がんばれば褒められる その仕組みにちゃんと乗ってきた人たちだ

でも社会は違う がんばっても報われない 誰かに評価されるとも限らない むしろ、成果より空気のほうが大事にされる場面も多い

そんな理不尽に直面したとき、「え、なんで?」とショックを受ける それまでの成功体験が多ければ多いほど、そのギャップに耐えられなくなる

逆に、勉強が苦手だった人のほうが社会ではタフだったりする 挫折経験が多い分、期待値が低い だからうまくいかなくても、そこまで自分を責めない

勉強が得意だった人ほど、ミスや失敗を「自分の価値が崩れること」と捉える その思考パターンが、精神をじわじわ追い詰めていく

さらに問題なのは、周囲からの期待 「成績よかったんでしょ?」 「〇〇大学出てるんだから」 こういう無言の圧が、本人の首を絞めていく

本音では助けを求めたいのに、「そんなこと言える立場じゃない」と思い込んで どんどん孤立して、追い詰められていく

だからこそ、勉強ができた人のほうが、静かに、誰にも気づかれずに壊れていく 表面的には「優秀でちゃんとしてる」ように見えるから、誰も異変に気づかない

気づいたときには、もう心が動かなくなってることもある

発達障害・精神疾患・自殺者の増加と教育の関係

発達障害の診断が増え、精神疾患の通院者数が増え、自殺者も減らない この流れに対して、教育との関係性を真面目に議論する人は少ない でも、はっきり言う

関係はある

むしろ、かなり濃厚にある

まず、学校という空間は「枠から外れた人間を許さない」仕組みになっている 全員が同じ時間に登校し 同じ姿勢で授業を受け 同じスピードで理解し 同じ空気を読んで生活することを前提にしている

これに適応できない子は「問題児」や「落ちこぼれ」扱いされる その裏にあるのが、発達特性という見えない個性だとしても、配慮はほとんどない

授業中に動いてしまう 空気が読めない ノートが取れない このような特性がある子に対して、「なぜ普通にできないのか」と責め立てるのが教育現場

「普通になれない人」が苦しむように設計された場所 それが学校という空間だとしたら、心を病むのは当然の帰結となる

しかも、先生たちは「教えるプロ」であって、「理解するプロ」ではない 特性に応じた教え方ができる人はごく一部 むしろ多くの場合、「できない側が悪い」という力関係が成立してしまう

結果、自己肯定感は地に落ちる 勉強ができない自分 空気が読めない自分 それを「自分の欠陥」だと思い込むようになる

そして誰にも助けを求められないまま、心の限界を迎える それが「学校がしんどい」「生きるのが苦しい」という声として表面化している

自殺という最終手段を選んでしまう子の多くは、「誰にも理解されなかった」という絶望を抱えていた その孤立感の起点が、学校だったというケースは珍しくない

「頑張りが足りない」と切り捨てる前に 「その子の頑張り方が尊重されなかった」教育の構造を疑うべきだった

親と学校が結託して作る「努力の空回り」

勉強がすべてだと思い込まされてきた子どもたちの多くは、そもそも選択肢が与えられていなかった そして、その思い込みを最も強化していたのが、「親」と「学校」だったりする

学校は言う「勉強しないと将来困るよ」 親も言う「いい学校に行って、いい会社に入ってほしい」 この時点で、子どもにとって逃げ道はない

いい学校にいけない事が決まった時、いい会社に入れない事が決まった時、どうしたら良いかわからない

どうすべきか考える力は無く、手遅れとなる

どんなにその子が絵を描くのが得意でも体を動かすのが好きでもプログラミングに興味があっても全部「それよりまず勉強」と潰されていく

つまり「努力の方向性」が最初から固定されていた しかもその方向が、本人に合ってるかどうかは一切問われない 問うたとしても、「そんなのは趣味でやりなさい」で終わる

努力の総量がどうこうじゃなくて努力の方向が完全にズレていたら、成果なんて出るわけがない

そして成果が出なければ、今度は「お前の努力が足りない」で責められる 「もっとがんばれ」「やればできる」 この言葉ほど、無責任な呪いはない

努力は美徳、頑張るのは正しい その前提のもとで、教育システムと家庭環境が見事に結託してる 本当は「努力の前に、その方向で合ってるか?」を確認すべきだった

進学塾に高額な月謝を払い模試の順位で一喜一憂し子どもの将来を「偏差値」でしか測れなくなった親たちそのプレッシャーを直接浴び続ける子どもは、たまったもんじゃない

しかも、そういう家庭ほど「子どものため」と本気で信じてる だから質が悪い 善意で押しつぶしてくるから、本人は逃げ場を失う

こうして生まれるのが、「成果が出ないのに、がんばるしかない」という空回り地獄 逃げることは許されず、疑うことも許されず、ただ耐え続けるだけの時間が始まる

その結果、勉強に使った時間とエネルギーが、すべて無駄だったと気づいたとき 今度はその喪失感に押しつぶされる

じゃあ何を学べばよかったのか?今からでも遅くない話

学校の勉強が無駄だったと気づいたとしても、そこで終わってしまったらただの被害者で終わる 大事なのは、「じゃあこれから何を学び直すべきか」なんだ

まず、最優先で学ぶべきだったのは「自分の取扱説明書」 どんな環境で調子が出るのか 何をしてるときに時間を忘れるのか どんな人間関係がストレスになるのか これらをちゃんと把握しておくほうが、微分積分より100倍人生を救う

そして「正解がない中で、自分で決める力」 誰かの答えをなぞるんじゃなく、自分の頭で考えて、自分の責任で選択する力 これを奪われ続けてきたからこそ、今の社会は「自分がない大人」で溢れている

あとは「適応」ではなく「創造」のスキル どうすれば人に価値を届けられるか 自分の特性を活かして誰かの役に立てるか その視点で物事を見直すクセが、今の時代には必須になる

さらに、感情の扱い方も重要だった 怒り・悲しみ・不安・孤独 こういった感情に振り回されない術 誰も教えてくれなかったけど、それこそが人生を壊さないための基礎だった

「学ぶ」ことは否定しない でも、それが「何を学ぶか」と「誰のために学ぶか」がズレていたら いくら努力しても意味がないどころか、むしろ遠回りになる

過去の教育が間違ってたなら、今ここから学び直せばいい 別に遅すぎることなんてない

むしろ今のあなたは、「何が無駄だったか」が見えている その視点を持っている時点で、昔の自分よりはるかに強い

学校が教えてくれなかったこと それを今、自分で取りにいく時代に生きている 正解のない時代に生きるなら、「自分にとっての正解」を見つける力こそが、本当の学びになる

心理カウンセリングでもう一度、学び直す

学校の勉強は、将来のためになるものだとずっと信じていただろう

テストで点を取り、進学校に進むたびに 「自分はちゃんと進んでいる」と思っていた

しかし社会に出たら、誰も因数分解の話なんてしないし、古文の訳を覚えていたって、誰にも褒められない

代わりに求められたのは 言いたいことをやんわり伝える力だったり 空気を読みながら我慢することだったり 思ってもいないことを笑顔で言うことだ

そんなのは、学校では一度も教えてもらえない

じゃあ、自分は何のために頑張ってきたのか

もし今、あなたがそう感じているなら、ここからやり直せる方法がある

それが「心理カウンセリングの活用」

心理カウンセリングは、悩み相談だけの場所じゃない

社会で役に立たなければ、心理カウンセリングも意味が無い

心理カウンセリングは、社会の中でどう自分を扱えばいいかを“学び直す場所”でもある

  • 人に巻き込まれずに生きる力
  • 自分の感情を手放すタイミング
  • 仕事で必要な知識
  • 稼ぐ方法

こういう“生きる技術”を持っている人が、社会ではうまくやっている

そしてそれは、今からでも習得できるスキル

勉強をやり直すんじゃない

「自分との関係」を組み直すための学びを始めるだけ

学校では教えてくれなかったけど

あなたには、今ここから学び直す自由がある

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今後も寄り添いませんが、続きが気になったら「スキ」で応援しておいてください

続きを書くかもしれません

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