こだわっているものを捨てることができたら、どうなるのだろうか? 時より、そう考えてみたりするんだ。
今、仕事を四種類くらい掛け持ちしてるんだけどね。どれも興味があって取り組んでいるのだけど時々、何のためにしているんだろう、と疑問に感じることがあるんだ。
このTipsもそうだね。書きたくて書いているのに意味を考えたとたん、分からなくなってしまうよ。それなのに、こうして今日も記事を書いているんだ。きっと、これだというもので成功していないからなんだろうね。
高校で部活動をしていた時、才能がなくても毎日、練習して頑張っていたよ。なれるものならプロのテニスプレイヤーになりたかったね。その夢は叶わなかったし、無理だということをハッキリと自覚しているよ。
田舎だったということもあり、地区大会から県大会に行けるのは1~2人しか枠がなかったんだ。小学生の時からテニスを習っていた子が同級生にいたので1枠はそいつで確定していたよ。あんなに練習していたのに僕はベスト8が最高成績だった。県大会の次には近畿大会があり、全国大会まで繋がっている。僕は部活動でテニスをしているその他大勢でしかなかったんだ。どんなに努力しても僕の能力では地区大会のハードルすら飛び越えられなかったよ。それが実力だった。
現実を見て、努力しても才能が開花しないのであれば他のものにチャレンジしたり、探したほうが良いということを、高校二年間を費やして出た結果で突き付けられた。それから、『やりたいことをする』のではなくて、得意かもしれないものの中で『まあ、好きかな?』『興味がある』ことを仕事にできないかと考えるようになったよ。そして、見付けた仕事で頑張っている。そんな仕事でも、こういう風になりたい、みたいな理想像があって、またそれを目指しているんだよ。幻想かもしれないのにね。
けど、思うんだ。
折り合いを付けて生活だけを考えたら年収は二百万くらいあれば何とかなるよ。物欲はないし、結婚したいとかもない。贅沢な暮らしがしたいとかが僕には全くないんだ。ただ仕事をして給料をもらうだけならプライベートの時間をたくさん確保できるよ。そうしたらテニスを趣味で続けられるね。
『好き』は趣味で良いじゃん、とできれば楽なんだけども。やっぱり僕はプロになりたいんだよ、どうしてもね。本気じゃないとツマんないんだ。そして、負けたくないんだよ。
なんでなんだろう。思春期に『勝ち負け』を意識したからなのかな? テストでは自分の成績が順番で分かり、テニスの上手さは大会に出ればハッキリした。親からは一つでも上の順位になるように勉強しなさいと言われ、テニス部の先輩からは試合に勝つように指導され、担任の先生からは少しでも偏差値が高い大学へ進学することを勧められた。けっきょく僕は、それらの競争で親や先輩、先生を見返すくらいの結果を出せていないんだ。だから、いつまでもそれを追いかけているのかもしれないね。いつか見てろ、って。
抑え付けてきた圧力に負けたくないのに、上手くいっていない現状が恥ずかしくて、未だに勝とうとしているんだよ。今、福祉の仕事で利用者に、自分のペースで良いんですよ、と言いながらね。
どうしたら良いのか何となく分かっていながら、それがいつまで経ってもできていないんだ。
いつか、この自意識から抜け出せる答えが見付かったら、ココに書くよ。
それじゃあ、またね。
バイバイ。