みなさんこんにちは。だいぶ寒くなりましたね。大雪も心配ですが、風邪など引かないよう気を付けて下さい。
さて、今回は、私の人生でしてきた間違いのはなし。あんまり大したことではないですけど、記録に残して置きたいから、書かせていただいた次第です。
私は、4歳からピアノを始めて、15歳から音大の先生に習いました。母がいった大学と同じところに軽い気持ちでいったわけですが、とにかく良縁には恵まれなかった学生時代だったなと思います。学校の先生も、ピアノ関連の先生も良い人ではありませんでした。学校の先生のことは違う記事で書くとして、今回はピアノ関連のお話をしたいと思います。
15歳から、富士市に住んでいた音大の先生に習いました。そのセンセイはとにかく大音量で弾くことを要求し、フォルテとか、フォルテッシモを、上から叩きつけるようなタッチで弾かせる先生でもありました。選曲も、ショパンのスケルツォ1番とか、グリーグのソナタホ短調など、荒々しく激しい曲ばかり。モーツァルトのソナタをやるとなれば、激怒して、私の顔に泥を塗るのか!と怒鳴る始末。いつも大音量を要求される、20ページ近くある大曲ばかりやらされておりました。他の門下生の方の演奏も聴きましたが、みんな歌うかわりに怒っていて、これ以上近づくな!と威嚇しているような演奏するかたばかり。そんな一門でした。
そんな私をみた地元の先生が、海外から来たユダヤ人の先生のところに連れて行ってくれて、習わせてくれたんですけれど、静かに、穏やかに、繊細で美しい演奏をされる方でした。聴かせていただいた、ショパンのマズルカ14番で涙したことがあるくらい美しい演奏される先生でした。その先生は、とにかく、静かに美しく弾くことを指導してくださったのですが、私はそれをかっこいいと思えず、無視してしまいました。いまとなっては、すごい大事なことだったと思うのですが、当時は、たたきつけるような、激しい演奏をかっこいいと思っていたのだと思います。超絶技巧とか、荒々しさにたよらず、静かで穏やかな音楽を聴かせるほうが、よほどだいじだったのに。その当時は、そのことがわからず、よほど馬鹿でした。
そんなわけで、音大時代は、叩きつけるような演奏しかやることができませんでした。その中で、足が不自由になり、ピアノを満足に弾けないという事態にもなり、やりたかった研究もできませんでした。結局、授業で習わせてもらったお琴の教室へ就職し、しばらくは、ピアノから離れた日々を送りました。
しかし、ひょんなことから、ピアノのグループで演奏させてもらうようになり、いろんな方の演奏を聴く機会を得ました。其の中で、大音量でひいても不快な気持ちになるだけであることが、なんとなくわかってきました。また、母に勧められて、まったく違う系列の先生のもとへ通うようになると、海外の先生の教えをさらに強調するようなレッスンになり、自分のしてきたことは間違いだったとわかりました。その時は、もちろんがっかりではあったのですが、いま是正してくれる先生もいますし、ピアノグループのメンバーさんと話をさせてもらうなかで、少しずつ衝撃は和らいで、これからは、けたたましい音楽はしないようにしよう、とおもうようになりました。
10年近くお琴の仕事をしていましたので、ピアノ関連は、ほとんどできなかったのですが、30代からは、ピアノの仕事も増えています。10年間無駄にしたようですが、前述した事実を受け入れるにはかなり体力がひつようで、そうなんだと思うことができるようになるには、10年以上たたないとできなかったのです。つらい過去から逃れるには、このくらいの時間がないと、できないのだと思いました。
そんなわけで、お琴の仕事を10年くらいして、ピアノから離れさせてもらったあと、やっと本当のことをつかめたような気がします。大音量で弾いても意味がなく、大曲を弾いても意味がないということです。大曲や大音量にこだわっていては、演奏にも何もなりません。これは、今ならっている先生から、何辺も聴かされることで、本当に感謝しています。
同時に、大音量で弾くとか、大声を出して怒鳴るというひとは、こころのどこかに、弱い部分を持っていて、それをさらけ出したくないから、大音量で弾いているのだと思いました。怒鳴るひとほど、心は弱いかもしれません。
今回はそんなことをまなばせていただきました。間違いは後悔するものですが、二度と繰り返さないように、努力するのがにんげんです。その能力があるのを、だいじにしたいと思います。
今回は、最後まで、ありがとうございました。
これからもこんな長い文があるかもしれませんが、よろしくお願いします。
