第10回(経営戦略編):戦略を遂行する「意思決定」の重要性。銀行と商社の意思決定システムはなぜ異なるのか?(前半)
(株)ソクラテス代表 寺澤浩一
正しい意思決定をしたい。せめて誤った意思決定だけは避けたい。仕事をする人は皆そう考えています。そのために、先人達の経営戦略論やフレームワーク(詳細は第8回)も使いながら、日々の意思決定を行っています。
では、意思決定を間違えないためにはどうしたらよいのか。それに答えるのが今回の趣旨です。
前半(今回)で過去の代表的な意思決定理論を解説し、後半(次回)では論理的思考方法の代表格「ロジカルシンキング」における「直感」の重要性について触れたいと思います。
●メガバンクと総合商社では意思決定システムが微妙に異なる
僕が「意思決定は不思議なものだ」と最初に思ったのは、20〜30代の頃に勤めていたUPUという採用PR会社で、入社案内の企画コンペに参加した時でした。
当時、大手企業が新卒採用に使う入社案内を作成する時には、2〜3社、多い時は5社を超える会社から提案を受け、社内の検討を経て発注先を選定していました。この企画コンペの勝敗の決まり方が、業種や企業によって大きく異なることに気がついたのです。
典型的な例をお話しします。
例えばメガバンク(当時は都市銀行と言っていました)の場合は、発注先は社内稟議で決まります。各社から提案された企画は、まず採用グループで検討され、人事課長、人事部長と稟議が上がって最終決裁されます。
一方、総合商社では、もちろん稟議はあったのでしょうが、事実上の決定は一人のキーパーソンが行っていたように思います。提案された企画はあくまで叩き台であり、誰と一緒にその先数ヵ月間の仕事をしたいのか、という視点でパートナーが選定され、そのキーパーソンが上司を説得していく。いわば「人物コンペ」でした。
この決定システムの違いは、どこから来ていたのでしょうか。おそらく、銀行と商社の本業における仕事の進め方の違いであり、日々の意思決定システムの違いなのだ、と僕は考えました。
銀行の本業の一つである融資は、厳格な稟議によってその可否が決まります。社内の規定に則って審査が行われ、リスク要因が一つひとつチェックされます。その本業の決裁システムが、入社案内の企画選定の際にも発動されていた。そのため稟議を通過する途中で尖ったリスクのある企画は落とされ、リクルートを始めとする知名度の高い会社が提案した、どちらかというと当たり障りのない企画が採用されていたように思います。
商社の場合は、商社マン一人ひとりの創造的意志や取引先との関係構築能力がビジネスの現場で厳しく問われます。人事担当者にも商社マンの血が流れていますから、まず自分の価値観に合ったパートナーを選定し、そこから一緒に企画を練り上げていけばよい、というように考えたのではないでしょうか。実際、コンペに勝った後に大幅な企画変更が入ることもよくありました。
採用ツールの選定という意思決定の仕組みに、本業の仕事スタイルが反映されていた理由は、おそらくそんなことではないかと推測します。
ちなみに、僕が勤めていたUPUは僕を含めて、総合商社やメーカーの企画コンペでは勝率が高かった反面、都市銀行ではまったく勝てないという状況が長く続いていました。リクルートや大手メディア系列の就職情報会社(昔の社名でいえば、日経ディスコ、ダイヤモンドビッグ、毎日コミュニケーションズ:マイナビ、文化放送ブレーン、等)の方が、リスクが低く信頼度が高いと思われていたのかも知れません。
なお、この銀行と商社の話は特定の企業のことを指しているのではなく、一般論的な(でもたぶん間違っていない)話であることをご承知おきください。そしてそこには、意思決定を考える大切な要素がいくつも入っていると思うのです。(これは最後に触れます)
●戦略的意思決定を支える理論には「理想論」と「現実論」の2種類がある
さて、「意思決定を間違えない」ための理論には、様々なものがあります。ここで代表的な意思決定理論と、その特長を整理してみましょう。
○サイモンの限定合理性と満足度基準
意思決定理論には、意思決定はどうあるべきかを考える「規範的意思決定論」と、現実的に人間はどう意思決定するのかを考える「行動意思決定論」があります。
前者は、1978年に意思決定に関する研究でノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンが源流です。サイモンは意思決定のプロセスを以下のように整理しました。
① 問題の認識→②代替案の探索→③代替案の評価・選択→④実行とフィードバック
実感としても分かりやすい整理ですよね。しかし同時にサイモンは、人間の情報収集能力や評価能力には限界があり、完全に合理的な判断はできない(限定合理性)ため、一定の目標水準を達成した代替案を選択する(満足化基準)ことになる、と論を展開します。
そしてこれは特に、経営トップが行う非定型の戦略的意思決定に顕著な傾向であると指摘しました。「人は制約のある合理性の中でしか意思決定できない」や「経営とは意思決定そのものである」というサイモンの主張は、よくわかる気がします。
○ノイマンの期待効用理論
20世紀を代表する数学者であるジョン・フォン・ノイマンは、数学者の立場から、この限定合理性に取り組みました。ノイマンは、不確実性が高い状況のなかで意思決定をするために、物事が起きる「確率」とそこから得られる「期待値」によって、どのくらいの便益や満足度を得られるか(期待効用)を数学的に算出する理論を確立しました。

※50億円の資産を持っている人がプラス50億円の投資をする効用は、500億円の資産を持っている人がプラス50億円の投資をする効用よりも、期待効用が大きいことが分かります。 逆に言えば、同じ成功確率の投資でも、持っている資産が大きいほど期待効用が小さいので、投資をためらうことになります。つまり「リスクを恐れる」のです。(図:入山昌栄「世界標準の経営理論」より)
この期待効用理論は、人はどのくらいリスクを取るか(リスク性向)を考える時に非常に役にたちます。リスク性向は性格や立場、おかれた状況によって変化しますが、一般に大部分の人がリスク回避的な意思決定をすることはよく知られています。
例えば、以下の2つの選択肢のうち、あなたはどちらを選びますか?
・選択肢A:100%確実に5千円がもらえる。
・選択肢B:50%の確率で1万円がもらえるが、50%の確率で0円になる。
たぶん多くの人が選択肢Aを選ぶはずです。この2つの選択肢の「期待値」自体は同じ5千円です。なのに何故Aを選ぶかというと、Bには「50%の確率で何ももらえない」という「リスク」があるからです。
同様に、同じ50%の勝率のギャンブルでも、5万円を賭ける時と50万円を賭ける時とでは、50万円の方が慎重になりますよね。これも「リスク」があるからです。
つまり意思決定においては、多くの人はリスク回避的になることを考慮にいれておく必要があるわけです。(ソフトバンクの孫さんのような人は極めて稀なのです)
●企業経営者が、失敗が明らかな事業から撤退できない本当の理由
○カーネマンのプロスペクト理論
ここまでは、意思決定はどうあるべきかを考える「規範的意思決定論」でした。これとは別のアプローチが、現実的に人間はどう意思決定するのかを考える「行動意思決定論」です。その代表がダニエル・カーネマンで、意思決定理論のパラダイムを大きく転換しました。
カーネマンは経済学に心理学の視点を組み込んだ「行動経済学」の分野を切り開き、2002年にノーベル経済学賞を受賞しています。先ほどの「期待効用理論」を刷新し、人間のよりリアルな意思決定の姿を活写しました。「東大で一番読まれた本」という帯が付いた書籍「ファスト&スロー」が有名です。
カーネマンは、人は与えられた情報から「期待値」に比例してものごとを判断するのではなく、状況や条件によってその期待値を歪めて判断(認知バイアス)してしまう、と指摘します。そして、人は「得られる利益は確実に得たいが、確実なリスクはより避けたがる」傾向が強く、また「利得が増えるほどよりリスク回避的に」なり、「損をすればするほど追加の損失に対して鈍感になる」ことを実証しました。

※図:STUDY HACKERホームページより
よく企業が失敗した事業からなかなか撤退できず、さらに追加資金を投入してしまう例が見受けられます。サンクコスト(埋没費用:一度投下してしまった回収できない費用)に引きずられ、損切りの意思決定ができないわけです。これがプロスペクト理論でいう「意思決定バイアス」です。またギャンブルの例で恐縮ですが、負けが込むほど大金をかけて一発逆転を狙い、結果として再起不能に陥るのも、この理論で説明ができます。
余談になりますが、僕はコロナ禍が始まる少し前に、仕事で香港・マカオに出張しました。その時に、プロのギャンブラーである某氏からバカラ必勝法を指南してもらいました。今から思うと、某氏はこのプロスペクト理論も熟知していたような気がします。ご興味ある方は以下からお読みいただけます。
●マカオのカジノで、バカラ必勝法を教えてもらった。
さらにカーネマンは「ファスト&スロー」の中で、人間には直感に基づく「システム1」と、論理的思考による「システム2」が存在し、多くの場合「システム1」が先に発動されること。しかし認知バイアスがあるため、衝動買いを後悔するように、間違った意思決定をしがちなことを明らかにしました。
こうしたカーネマンのプロスペクト理論を踏まえ、多くの意思決定理論は、できるだけ論理的思考に基づいて意思決定すべき、と主張しています。先に触れた期待効用理論もそうですし、ロジカルシンキングなどもその典型例です。
しかし最近の研究では、外部環境の不確実性が高いほど、直感による意思決定の方が予測精度は高くなる、と指摘され始めているようです。人の直感には過去の経験・知見・判断が総動員されています。特に不確実性が高い状況下では、余計な追加情報を入れた熟慮で混乱を来す(策士策に溺れる)よりも直感に頼った方がよい、という主張です。直感とは、いわば「玄人の勘」のようなものでしょう。
ソフトバンクの孫さんが、アリババへの20億円の出資をジャック・マー氏との5分の面談で決めた例など、まさに直感の重要性を示しています。
冒頭で触れた銀行と商社の例でいえば、銀行の意思決定は金融という業種特性上リスク回避の傾向が強く、そのために「稟議システム」が発動されます。商社の意思決定は不確実性が高い状況下で行われることが多いため、全人格をかけた直感に基づいて「人物コンペ」で決定を下すことになる、というわけです。
次回は後編として、論理的思考の代表的手法「ロジカルシンキング」と、そこでの「直感」や「感情」の重要性についてお話しします。
●ここがポイント!
- 1.人は制約のある合理性(限定合理性)の中でしか意思決定できない。
- 2.だから人は意思決定をする時に、必ず「期待効用」を考えて判断している。
- 3.しかし人は、状況や条件によってその期待値を歪めて判断(認知バイアス)してしまう。
- 4.外部環境の不確実性が高いほど、直感による意思決定の方が予測精度は高くなる傾向が強い。
