第7回:京セラ・ソフトバンクと正反対、「頑張らないワークマン」の管理会計とは?(後半)
ソクラテス代表 寺澤浩一
前回は、管理会計の代表的な例である「アメーバ経営」について触れました。稲盛さんの類を見ない経営哲学から生まれた管理会計の手法が、京セラを世界有数のメーカーに育てあげ、破綻した日本航空をV字回復させたこと。そのマネジメントのKPIが「時間当り付加価値」であること。ただし導入するのはかなり難しいことなどを説明しました。
今回は、ソフトバンク孫さんの「千本ノック」の話です。ただ、稲盛さんと孫さんというお二人を例にあげると、管理会計が何か特殊な手法で、一般の会社で採用するのは難しいと思われるかもしれません。
そんなことはないのです。それをお分かりいただくために、後半でこの2社とは正反対の「頑張らない経営」を実行するワークマンの話をします。
●ソフトバンクの孫さんが毎日実行していた「千本ノック」とは?
孫正義さんの「千本ノック」の話は、以前、実弟である孫泰蔵さん(当時ガンホー会長)から直接聞きました。詳しくは下記をご覧ください。(かなり昔の記事で恐縮です)
※パズドラで急成長するガンホーの孫泰蔵会長が、東大受験に2回失敗した時に、兄・孫正義ソフトバンク会長から教わったこと。
ソフトバンクの歴史は、巨大な買収の歴史でもあります。「千本ノック」がなぜ生まれたかを説明するために、ざっと振り返っておきましょう。
ソフトバンクの設立は1981年です。パソコン用ソフトの卸売業から始まり、パソコンユーザー向け月刊誌の出版、米国現地法人設立を経て、1994年に店頭公開により200億円を調達しました。そしてその資金で1994年以降の買収の歴史がスタートします。

とまあ、ものすごい買収の歴史なわけです。
僕が実弟である孫泰蔵さんにインタビューしたのは、1998年1月でした。Yahooジャパンが設立され、インターネット関連企業が群のように立ち起こった時期にあたります。ソフトバンクはこの頃、まさにM&Aを加速する真っ只中にありました。
そこで聞いた話では、ソフトバンクの孫社長は当時、1000を超えるセグメントや各種プロジェクトで日次決算を行い、毎日1000項目のKPIをチェックしていたそうです。そして問題があればそのKPI数値をドリルダウンして原因を特定し、翌日にはすぐに対策を講じるという離れ技をやっていました。それが「千本ノック」です。
千本ノックのKPIがどんな数値であったか、迂闊なことに当時それを聞き逃してしまいました。しかし、毎日集計できて、孫さんがパソコン画面上で1000回チェックする指標ですから、たぶん売上か営業利益の予実対比、または限界利益(売上から変動費を引いた数値)の固定費回収状況といったシンプルな数値だったのではないかと想像します。
いずれにしても、その緻密な経営管理があったからこそ、サラリーマン社長にはできない大胆な投資を次々と行い、キッチリと回収して成長を続けてきたのだと思います。
●類を見ないユニコーン投資会社の驚くべき管理会計手法とは?
現在のソフトバンクグループはご存知のとおり、移動通信事業をはじめとする1900余の事業会社を傘下に持ち、持ち株会社である本体は投資会社へと業態を変えています。それに伴って管理会計の手法も大胆に変更しています。(※以下は、日経ビジネス2021年12月27日号を参照しています)
ソフトバンクグループでは今、毎週月曜日にグループの最高幹部による「15年ビジョン会議」が開催されています。15年先という長期のイメージを3時間ほどかけて議論し、認識を共有しているのだそうです。しかも毎週です!
その議論のベースになるKPIが、LTV(ローン・トゥー・バリュー:保有資産の時価に対する純負債の比率)とNAV(ネット・アセット・バリュー:株式など保有資産から負債を除いた評価額)です。
少し難しいKPIですが、要は巨額の借入金の返済が滞るリスクを回避するための指標と考えてください。資金調達や投資活動を継続するためには、通常のPLやBSでは捉えきれないダイナミックなマーケット動向を反映したKPIが必要になっているというわけです。このKPIは、ソフトバンクグループのホームページで、トップページのファーストビューに掲載されています。
驚くのは、ソフトバンクグループがこの2つの指標を毎日3回更新していることです。2つの専門チームがかかりきりになり、日々刻々移り変わる世界情勢やマーケット情勢、テクノロジーの進化を踏まえ、アンテナを常に立てて少しの異変も見逃さない。そんな繊細なオペレーションを基に、世界に類を見ないユニコーン投資会社は運営されているのです。
ウィーワークで巨額損失を出し、虎の子であるアリババ株も下落、放出を余儀なくされるなか、市場の懸念を払拭するためにはここまでやる必要がある。一方で15年ビジョン会議を毎週実施し、その一方で1日3回も動的なKPIを更新する。ここに進化した「千本ノック」という管理会計の姿を見る思いがします。
●「頑張ること」を禁止したワークマンの競争戦略とは?
稲盛さんと孫さんは、普通の経営者ではありません。特別な人すぎて、管理会計の趣旨説明には向いていないかもしれません。ただお二人とも自社の経営のために命を賭けて独自の経営管理手法を生み出しました。管理会計はそれだけ重要なものであることをお伝えしたかったのです。
さて、この2社とはまったく異なる手法を採用しているのが、「しない経営」で有名になったワークマンです。土屋専務の書籍(ワークマン式「しない経営」)を読んだ方も多いのではないでしょうか。

上の表をご覧ください。要は「頑張ること」を禁止しているのです。ちょっと信じられないかもしれません。京セラやソフトバンクの超厳格で神がかった手法に触れた後では、気が抜ける思いがします。事実、早稲田大学の入山章栄教授は「頑張らないワークマンは驚異の脱力系企業だ」と指摘しています。
このやり方で、ワークマンは驚くべき業績を挙げています。2010年3月期から10期以上、連続して最高の売上高と経常利益を更新し続けています。
■ワークマン チェーン全店売上構成の推移

※ワークマン ホームページより
どうしてこんなことが可能なのでしょうか。その謎を解くために、まずワークマンの元々の強みが何であったかを考えます。
「ファイブフォース分析」という言葉を聞いたことがあるかと思います。「競争戦略」で名高い米国の経営学者、マイケル・ポーター教授が提唱したもので、自社の脅威となる5つの要素を分析し、そこから効果的なマーケティング戦略を構築するための手法です。
※競争戦略の詳細はいずれ「マーケティング」の章で詳しく触れます。
5つの脅威の中身と、ワークマンの自己分析は、こうです。
① 新規参入の脅威:ほとんどない。
② 買い手の交渉力:個人向けなので法人ほど強くない。
③ 代替品の脅威 :ほとんどない。
④ 供給者の交渉力:東南アジアの製造業者は相対的に強くない。
⑤ 業界内の競争 :個人向け作業服分野では、競争がほとんどない。
いずれも個人向け作業服という中規模市場で製造小売業(SPA)に特化してきたがゆえの、ワークマンの強みになっています。そしてワークマン が元々、粗利益の高い製品は置かない、目玉商品をチラシに載せない、値引きをしない、だからお客様は値札を見ない、という「しない経営」だったことにご注目ください。
この極めて特徴的な差別化戦略が、ワークマンの元々の強みだったわけです。
しかし土屋専務が入社した2010年代、ワークマンは成長の限界を迎えていました。その先の展開を考えた土屋専務は、ここで大きな戦略転換に舵を切ります。一つが「ワークマンプラス」と「ワークマン女子」による新市場開拓、もう一つが「しない経営」の深化と「エクセル経営」の導入による組織風土の変革です。
「ワークマンプラス」と「ワークマン女子」による新市場開拓についての詳細は、マーケティングの章に譲ります。ツボだけお話しすると、自社のこれまで強みを踏まえ、低価格、かつデザインよりも機能性の高い製品(コスパの良い高機能ウェア)に特化することにより、それまでブランド力が重要だとされてきたアウトドア市場で、新たなブルーオーシャンを切り開きました。
そこにある製品は、従来のワークマンと全く同じです。ただしターゲットと見せ方を変えました。作業服だった「防水防寒スーツ」をバイクユーザーに売り、滑りにくい「厨房用シューズ」を妊婦さんに売り、「保湿性の高いソックス」を登山家に売る。そしてワークマンの熱いファンに製品を紹介してもらうアンバサダーマーケテインングを展開しました。そして「目標は低く」「人をかけず」「お金もかけず」「期限を定めない」という「しないマーケティング」で見事に成功を収め、競争しないで勝つ仕組みをつくるというブルーオーシャン戦略が実現したのです。
●飲食店が繁盛する理由は「レシピ:SP」か「料理人の腕:OC」か?
もう一つの戦略転換が、「しない経営」の深化と「エクセル経営」の導入です。
前述の「しないマーケティング」では、アパレル業界のマネはしない、デザインは変えない、顧客管理はしない、販促費はかけない、仕入先を変えない、FC店は対面販売をしない、など、「しない経営」を深化させています。
「エクセル経営」とは、「全員参加型のデータ活用経営」です。社員のストレスになることはしない、と宣言したワークマンが、唯一実行した計数管理がエクセル経営でした。
しかも、高価な分析ソフトや、ましてAIやデータサイエンティストに依存することなく、普通の社員がエクセルデータを元に経営陣に対して意見できる組織風土を作ることを目標にします。その取り組みから、売れ筋の製品を発見する「未導入製品発見ツール」、製造したサイズと売れているサイズの差を可視化し在庫ゼロを実現する「サイズ変動発見ツール」など、いくつもの管理会計ツールが生まれました。

※ワークマン式「しない経営」より
もちろん、「エクセル経営」は一朝一夕に実現したわけではありません。2012年にワークマンに途中入社した土屋専務は、ずっと地道にデータ活用研修をやり続けてきました。そして、専門家によるデータ経営ではなく、普通の社員がエクエルによる管理会計を実行することで、「もしかしたら自分が主役になれるかも」という自信を生み、それまで気弱で目立たなくコミュニケーション能力が低いと思われていた社員が流通のプロに育っていったのです。
一橋大学の楠木建教授は、著書である「ストーリーとしての競争戦略」のなかで、競合他社と差別化する手法として、他社と違うところに自社を位置付けること(Strategic Positioning:ポジショニング)と、他社が簡単に真似できないその組織固有のやり方を実践すること(Organizational Capability:組織能力)の2つがある、と指摘しています。
レストランに例えるならば、「SP:ポジショニング」がシェフのレシピの違いで、「OC:組織能力」が料理人の腕という蓄積された能力の違いになります。
ワークマンのブルーオーシャン戦略はまさに「SP:ポジショニング」であり、しない経営とエクセル経営が「OC:組織能力」にあたるわけです。
●性善説と自発性の「Y理論」に依拠した「エクセル経営」
さて、ワークマンの「しない経営」と「エクセル経営」は、組織風土の改革が目的でした。ここで重要なのは、すべての施策が「性善説」と「自発性」をもとに実行されていることです。
ノルマで頑張るのではなく、良心で仕事をすれば人は自発的に継続する。それがワークマンの考え方です。これは米国の経営学者、ダグラス・マクレガーのモチベーション理論である「XY理論」で、性善説と自発性による「Y理論」として体系化されています。
モチベーション理論については組織人材開発の章で詳しく触れますが、動機付けについて以前、以下のような記事も書いていますので、ご参照ください。
※「スマイル0円」の秘密。マクドナルドのクルーは、なぜ笑顔になるのか?(2015.5.25)
※自律型人材を育成するために、まず経営者がすべきこと。
〜ジーコの鹿島アントラーズと“はやぶさ”の帰還に学ぶ〜(2010.9.10)
要は、「しないマーケティング」という戦略的ポジショニングでブルーオーシャンを獲得し、「エクセル経営」という管理会計手法を駆使して、極めて強靭な組織能力を実現している、ということです。
ここまで見てきたように、管理会計はそれ単独で存在するものではなく、経営者の哲学や事業におけるマーケティング・組織人材開発などと密接不可分の関係にあり、一つのストーリーとして完結していなくてはならないことを、ワークマンの事例から学ぶことができると思います。
そして、DX推進やワークライフバランス重視など、新しい経営環境に対応するためにも、「エクセル経営」という管理会計の手法は参考になるのではないでしょうか。
●ここがポイント!
- 京セラやソフトバンクで行われている「管理会計」は、普通の会社でもできる。
- ワークマンの「エクセル経営」は、競争戦略と深く結びついている。
- 「管理会計」は、DX推進やワークライフバランス重視という環境変化にも対応できる。
