第9回(経営戦略編):大谷翔平選手の成功を、経営戦略論の視点から読み解いてみる。

第9回(経営戦略編):大谷翔平選手の成功を、経営戦略論の視点から読み解いてみる。

(株)ソクラテス代表 寺澤浩一

(株)ソクラテス代表 寺澤浩一

前回の経営戦略概論は、少し理屈っぽい話が続きました。今回はちょっと息を抜いて、気軽に読める記事をお届けします。米国メジャーリーグ(MLB)で大活躍している大谷翔平選手の話です。(全文無料でお読みいただけます)

その前に、「戦略」という言葉をもう少し深掘りしておきましょう。前回も書きましたが、「フレームワーク=戦略」ではないことや、「戦術」との違いなどを明確にしておきたいからです。

●クラウゼビッツが説いた「戦略」と「戦術」の違いとは?

戦略論を初めて提唱したのは、「戦争論」で有名な19世紀初頭のプロセインの将軍、クラウゼビッツだと言われています。当時、ナポレオン軍に煮湯を飲まされた経験を持つプロセインの軍事専門家達は、「ナポレオンが何故あれほど強かったのか」を懸命に分析しました。クラウゼビッツもその一人です。

その分析によると、ナポレオンの強さの秘密は、①先制攻撃、②敵の補給・通信路の遮断、③短期間の大軍集中、④戦闘勝利後の追撃の迅速さ、にあったとされました。

クラウゼビッツの本領は、その先にあります。彼は、上記4項目は「敵と出会った時どう戦うか」という「戦術」にすぎないとし、国家の総力をあげて行う戦争にはまず「どの敵と戦うのか」という「戦略」が必要で、その根幹は「兵站力」にある、と喝破しました。戦術と戦略を初めて明確に分けて考えたのです。

その後、クラウゼビッツの戦略思考を受け継いだプロセイン軍参謀本部は、次に戦うべきターゲットを、当時のデンマークとフランスに設定します。そして長い年数をかけて、両国との国境に向けた新しい鉄道を敷設します。つまり戦争に勝つためには、第一線で戦う戦闘員だけではなく、弾薬・食糧・医薬品などの物資を運ぶ兵站力こそが勝利の源泉であると考えたのです。これがクラウゼビッツの言う「戦略」です。狂気と言われたヒットラーでさえこの戦略発想を受け継いでおり、国境へ向かうアウトバーンの建設に注力しました。大量・迅速な輸送能力の主役は、鉄道から自動車へ交代していたからです。

現代でいえば、航空宇宙産業や半導体産業にどう取り組むか、という国家戦略が問われているということになるのでしょう。

戦略は戦術とは異なり、これほどの長期的な予測と計画性をもって行われるべきものである、とクラウゼビッツは説きました。彼が戦略論の嚆矢であると言われる理由がよくわかります。

なお戦略の重要性に気づいたプロセイン軍は、実践部隊(ライン)と参謀本部(スタッフ)を別組織としており、これが現代の企業組織論へと発展していきます。

●大谷翔平選手の活躍振りをざっと振り返る

さて、大谷選手の話です。

大谷選手は岩手県水沢市の出身です。小学校3年生の時にリトルリーグで野球を始めました。小学5年生の時には球速110kmを記録したといいますから、もともととてつもない身体能力を持っていたのですね。

花巻東高校の先輩である菊池雄星選手に憧れて、同校へ進学。その当時から、日本一になる、日本人最速となる160kmを記録する、ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる、それらを目標に掲げていたそうです。とても15歳の少年が考えることとは思えません。

プロ野球のドラフト会議の前には、マイナーからのスタートを覚悟で米国メジャーリーグへの挑戦を表明しています。しかし交渉権を獲得した北海道日本ハムファイターズは、栗山監督を交えた4度の交渉で「二刀流」育成プランなどを提示。その結果、大谷選手は日本ハムへ入団しました。

その後の活躍は誰もが知るところです。日本でも数々の記録を打ち立てた後、2018年にはMLBのロサンゼルス・エンゼルスで新人賞受賞。2021年にはイチロー選手以来となる日本人史上2人目のシーズンMVPを獲得。そして直近の2022年には、ベーブ・ルース以来約104年ぶりの二桁勝利・二桁本塁打、またMLBで初めて投手打者の両方で規定回に到達という快挙を達成しました。

これを受けて、2023年1月17日付けの米国スポーツ専門チャンネル「ESPN」電子版は、大谷選手が「初の5億ドル(約675億円)にまさになろうとしている理由」と題した記事を掲載しています。北米ではMLBだけでなくすべてのプロスポーツで、5億ドルの契約を獲得した選手はまだいません。今季終了後にFAとなる大谷選手が「そこに到達する見方が強まっている」と太鼓判を押しているのです。さらに加えて、2022年にはMLBの最多記録となる17のスポンサー契約を結び、エンゼルスタジアムに日本企業22社が広告を掲示するという影響力を発揮しました。

まさに、とんでもない活躍ぶりに改めて驚かされます。

●大谷選手が成功した第一の要因は「○○を選択したから」

ここでは「成功」という言葉を「経済的な報酬」という意味で使います。もちろん大谷選手にはそんなつもりは毛頭なかったと思います。メジャー挑戦の時にも、MLBの労使協定による低額の契約金を甘受してまで自分の夢を追い続けてきたのですから。

大谷選手がなぜ成功できたのか。その理由を、余計なお世話であることを承知で、経営戦略論の視点から考えてみます。援用するフレームワークは、マイケル・ポーター教授の競争戦略の核心である「ポジショニング」理論と、ケイパビリティ(組織能力)派の代表格であるゲイリー・ハメル教授の「コア・コンピタンス」理論です。

前回でもお話ししたとおり、レストランに例えるならば、「レシピの違い」に着目するポジショニング派と、「料理人の腕」に着目するケイパビリテイィ派という二つのアプローチで、大谷選手の成功要因を考えてみます。

成功の第一の理由は、少し意外かもしれませんが、数あるプロスポーツの中から「野球」を選択したことです。何故なら、野球はプロスポーツの中で最も市場規模が大きく、稼ぎやすいジャンルだからです。ここに「ポジション」を取ったことが成功の第一の理由となりました。

野球というジャンルには、リトルリーグから始まって、高校野球の甲子園、大学や社会人野球、そして日本のプロ野球(NPB)、米国メジャーリーグ(MLB)という明確なキャリアパスが存在します。

しかもNPBでもMLBでも、他のスポーツと比べて年俸の水準が高額です。日本国内の市場規模(推定)は、プロ野球が約2,000億円、プロサッカーJ1が約1,100億円、プロバスケットB1が約200億円と言われており、特に野球の場合は引退後もコーチなどでベンチ入りできる可能性もあり、安定して生涯稼げるスポーツになっています。

※BonusFinder Japanによる推計

もちろん世界に目を向けると、サッカーのメッシ選手を筆頭に、バスケットボール、テニス、ボクシングなどで名選手が上位に名を連ねています。ただ「フォーブス誌」の世界長者番付でトップ100人に入るプロスポーツ選手の人数を数えると、野球が26人と最も多く、続いて2位がアメリカンフットボール、3位がバスケットボールとなっていました。体格なども考えると、日本人がトップ選手に上り詰めるなら、やはりNPBからMLBへというコースが最適だと言えそうです。

ビジネスの世界でも、ベンチャーキャピタルがスタートアップに出資する場合、経営者の人格・能力、ビジネスモデルの卓越性に加えて、その事業が「スケール」するかどうかを判断材料とします。市場規模の大きな野球は、その意味でぴったりだったのです。これはポーター教授の「競争戦略」の視点では、最適な市場ポジションを選択した、ということになります。(ポジショニングの詳細は、第7回を参照ください)

大谷選手の場合、これに加えて「二刀流」という唯一無二で難易度が超高いポジショニングを選択し、実現しています。そして「二刀流」を容認するロサンゼルス・エンゼルスという球団を選択しました。メジャーリーグにおける二刀流は、参入障壁がめちゃ高く、誰も模倣できません。競争相手が誰もいないという、圧倒的な強みとなるポジションニングを実現したのです。

よく企業の人材開発で、スペシャリストとゼネラリストという2つの強みを同時に持つT型人材が求められているとか言いますが、そんな話が霞んでしまうほど大谷選手のポジショニングは突出しています。

●卓越した能力開発をルーティン化した「マンダラ・チャート」

成功した第二の理由は、大谷選手の卓越した精神的・肉体的能力です。これはゲイリー・ハメル教授のいう「コア・コンピタンス」(またはケイパビリティ:組織能力)にあたります。この能力があれば、大谷選手は野球以外でも圧倒的なスーパースターになったことでしょう。

以前、大谷選手が高校1年の時に作ったマンダラ形式の「目標達成シート」が話題になりました。これは花巻東高校時代の佐々木洋監督の指導で作ったそうです。

真ん中に「ドラ1/8球団」という達成したい目標を記入し、その周囲の8マスに目標を達成するために必要な要素を書いています。さらにその9マスの周りに、同様の9マスを8セット作成するわけです。15歳の少年がここまで考えていたことに、本当に驚きます。この目標はすでに達成していますから、今は別のマンダラ・チャートを作っているのかもしれませんね。(「体づくり」のために「夜7杯、朝3杯」のご飯を食べるというのには笑いました)

大谷選手はこのマンダラチャートで目標を明確にし、その達成のためにコミットすべきことを可視化し、日々練習に励みました。そして長い時間をかけてそれらを生活のルーティンにすることで、メジャーリーグにおける二刀流という誰も真似ができないポジショニングを現実のものとしていったのです。

しかも「二刀流は無謀だ」という多くの批判を受けたにもかかわらず、初志貫徹した意志力は並大抵のものではなかったと思います。

この「ケイパビリティ」は、企業経営でいえば、「カンバン」「ケイレツ」「カイゼン」というトヨタ生産方式が有名です。これらはトヨタの組織ルーティンに深く組み込まれているため、競合他社が研究をし尽くしているにも関わらず真似することができません

大谷選手のメジャーリーグにおける二刀流も、その人間的能力の裏打ちがあって初めて実現したものだといえるでしょう。

●ここがポイント!

ここまで大谷選手の成功要因を、経営戦略論における「ポジショニング」と「ケイパビリティ」という2つの面から考えてみました。結論として、以下のように整理できると思います。

  • 1. 戦略とは、まず誰と戦うのか、どこで戦うのかを選択すること(ポジショニング)。
  • 2. そのために長期的な視野で戦略の核となる兵站を準備すること。
  • 3. 選択したポジショニングを現実のものとするために、模倣困難性の高い能力(ケイパビリティ)を組織ルーティンに組み込むこと。

なお今回の内容の骨子は、一橋大学・楠木建教授の「ストーリーとしての競争戦略」を参照しています。500ページの分厚い専門書ですが、まるで長編小説を読むような面白さがあります。お薦めの1冊です。


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この記事のライター

(株)ソクラテス代表 寺澤浩一

(株)ソクラテス代表取締役。 学生時代(慶応義塾大学文学部)よりコピーライターとして活動。1980年、(株)ユーピーユー入社。営業、編集、経理財務などを経験。1998年、(株)ソクラテスを設立。中小企業診断士として経営全般のコンサルティング、及びコンテンツ制作を行っています。

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